究極のバランス・・中庸のココロ

以下はあくまで私の考えで、
既存の教えや宗教などの見解とは違うかもしれませんが
まあ聞いてください^^;

 

前回の記事はこちら

人生は星めぐり・・全てが完璧(2018.09.28)

 

 

私が体験した『至福』の心境ですが、
これはもしかしたら

『中庸』と呼ばれる状態の最高形態ではないかと思いました。

 

 

人生というのは、
現象そのものではなく
考え方、あり方で変わります。
「その出来事をどう捉えるか」です。

 

楽観的に捉えるのか、悲観的に捉えるのか。

 

今はポジティブ思考がもてはやされがちですが、
(自己啓発が流行ってるから^^;)


ポジティブも度が過ぎると
周りが見えなくなり、自分中心に物事を考えがちになるようです。
そうなると人の苦しみや悲しみに気付けなくなります。

 

ネガティブも言うまでもなく
度が過ぎるとやはり周りが見えなくなり、
自分中心に物事を考えるようになります。
人の楽しみに嫉妬したり恨んだりするようです。

 

 

ポジとネガの両方を知ることで、
人の悲しみがわかったり、
がんばってる人を応援したくなったりするのだと思います。

 

そしてポジとネガをうろうろしながら
だんだん中心に近づいてきて・・

 

陰陽と中庸

 

究極の中心、
一切のズレもない、


『陰』と『陽』の絶妙なバランスの上に立てた状態、
それが
『究極の中庸=至福』


なのではないでしょうか。

 

 

ちなみに私は、運転している時にいきなりこの状態になりました。
家に帰って一息ついた時に最高潮になりました。

つまり、
瞑想や苦行や特別な修行ではなく
誰でも日常から得られるってことかもしれませんね。
それを受け止めるかどうか、だけだと思います。


現代社会でこの状態を保つのは難しいでしょう。
世捨て人ならともかく^^;
(このブログをこうして書けているのも、
自分の中に『我』が戻ってるからです。不思議な感覚です。)

 

でも、この究極のバランスを知ったことで、
今後の人生において軌道修正しやすくなりそうです。

 


**
誤解されるといけませんが、
『中庸』と言うのは誰にでも優しくなるわけではありません。
むしろ逆ではないか?と思います。

カテゴリ:ココロとアタマ | 14:56 | - | - | - |
人生は星めぐり・・全てが完璧

不思議な感覚を体験しましたので
備忘録として残しておきます。

かつて生きるのが怖くて怖くてたまらなかった私がここまで来ました。
いずれ成長のプロセスとして誰かの研究材料の1つとなりましょう(*´ω`*)

 

 

数日前、
私は何かを達成するためにここにいるのではなく、
ただ体験するためにここにいるのだと気付きました。

 

何をしても達成感がなかったのは、
「過程」を楽しむことが人生の目的だからと気付きました。

 

そして、
今までの自分の人生、辛いことも悲しいことも含めて、
様々な体験をさせてもらっている今世に
深い感謝が湧きました。

 

 

今朝、
宮澤賢治氏の『星めぐりの歌』のメロディーが心に流れました。
そしてこんなことを思いました。

 

私の人生は星めぐり


いろんな星をおとずれて


いろんな経験を積んでゆく

 

目的の地はない


一瞬一瞬が全て完璧

 

ただ旅を楽しむのみ



これで私は、
「何かを成し遂げなくてはいけない」という欲、執着、
根深く重い重い鎖から
抜けることができたのかもしれません。

 

今まで生きてきて
自分史上最高に至福の心境が訪れました。


人生はカンペキだ。
今までもこれからも。
何も恐れるものはない。
生も死も、何も変わらない。
一切の未練も執着もなくこの世を去ることができよう。
感謝、ただただ感謝。

 

そして、目の前に広がる私の世界は
今までとは違ったものに見えました。


見慣れたはずの風景のすべてが
慈しみと懐かしさと新鮮さで溢れ、
不思議な感覚を覚えました。

 

また、新しい星に到着したのです。


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星めぐりの歌
宮澤賢治


あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

 

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

 

大ぐまのあしを きたに
五つのばした ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

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・・さて。

覚醒した人っていうのはいつもこういう心境なのでしょうか。
確かにずっとこんな感じだったら、
社会から離れて暮らしたくなる気持ちもわかります。
(社会の中にいる必要がなくなるからです)

 

とはいえ、子育て中のお母ちゃんが
ずっとこの心境で居られるのか。
私のことだからまたゆれるだろうけども(笑)
またそれも、
体験・実験なのだと、楽しんでいきます。

 


::

 


パセリはついにヤバい人になってしまったと思われるかもですが、
「日常を暮らしながら自然にいつの間にか成長している」

ってのが私の理想だったので
近づいてきたんじゃないかな?と思います。

現実にはちゃんと社会に関わってお仕事してる
子育て中のお母ちゃんです。

 

とはいえ、今もまだフワッフワしてるんですが。
仕事たまってるんですが^^;
フワッフワした仕事が出来上がったらどうしましょ(笑)

カテゴリ:ココロとアタマ | 15:49 | - | - | - |
信じるのは自分・・『偽りの予見』の続き

前回の記事はこちら。(4年前・・^^;)

 

今日見た不思議な夢〜偽りの予見〜(2014.06.20)
〜偽りの予見〜夢を分析してみた(2014.06.23)

 

実はこの話には、書いてないことと分析の続きがあります。
ずっと黄色信号だったので、書いたほうがよいとわかっていながら
今まで書けなかったのは、私がビビリだったからです(こればっか^^;)

 

 

ここに出てくる女性の予見者は
自らを「金星人」と名乗っていました。

 

 

本当に金星人なのか、偽ってるのか、
当時の私には判断ができなかったのですが、
数年経って意味がわかりました。

 

もともとは本当に金星人だったようですが、
ある時期から金星人ではなくなってしまったのです。


ですが金星人であることが彼女のステータスだったため、
今更「もう私は金星人ではありません」とは言えなくなり、
メイクをして、そのまま金星人として振舞っていたのです。

 

 

なぜ、金星人ではなくなったのか。

 

彼女と金星人の周波数が合わなくなったからです。
つまり、金星のエネルギーが彼女から離れたのです。

 

金星側が役割を終えたとも考えられますが、
その後も彼女は金星人になりすましたということは
心の変化・・例えば慢心が出てしまったのが理由かもしれません。
(ずっと金星の周波数を保つのはとてもとても難しかったと思います。)

 

 

ところが、多くの人々は彼女が未だに金星人だと思い込んでいます。
素直に彼女のいうことを信じています。
なんの疑問も持たずに。

 

 

ここまでの分析でしばらく止まっていましたが
実は数ヶ月前、洗濯物を干してる時にいきなり続きが閃きました。
言葉にするとたったこれだけですが、深い深い肚からです。


信じるのは自分


・・すると、なんということでしょう(笑)
その彼女が金色に輝く観音様に変わり、本物の金星人に変わり、
こう言いました。

 

よく気づけましたね

悲母観音  ヴィーナス

(引用:狩野芳崖作『悲母観音』、ボッティチェリ作『ヴィーナスの誕生』

 


いま、現実社会でも、
いわゆる立派な肩書きや権威を持った人たちが
次々と失脚していますよね。

 

必死でがんばってがんばって、良い地位についた方々は
「私も判断が鈍ってきた。時代の流れにも合わなくなってきた。
迷惑かける前に他の人に託そう。」
なんて絶対に思えないかもしれません。
ご本人はそれで良いと思います。

 

それよりも問題なのは、
正しい判断ができなくなった人に
未だに従っている周りの私たちです。

 

あらゆる情報・・
偉い人や専門家が言ったことに対し、
その内容ではなく、
発信者が誰かで判断すること・・。

 

本来は人格向上のためのスピリチュアルが

目に見えない世界が見える人が偉いと思い込み、

ビジネス目的となってしまってること・・。

 

いつまでもしがみついてると、
谷底へ真っ逆さま!
ってこともあるかもしれません。

 

自分で考えない、違和感を持たない
そのほうが楽だし、自分の人生はそれで良しなら

それを貫抜くのも良いと思います。

 

ですが、未来ある子供たちの足を引っ張って
一緒に谷底に落ちるのだけはやめましょうね^^;


光がくっついてます(・・ただし条件付き)(2017.08.13)

 

 

 

はー。。

やっと書けました^^;

大好きなスピリチュアルが悪用されないことを祈るばかりです。

愛と慈悲を。(ついに私もこういうことを書くようになってしまったか!)

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