ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その8>自分は本当はどうしたいの?

なぜ、ココロに穴があいてしまうのでしょう。


元気な人でもおとなしい人でも、
うつになる人はなるし、ならない人はなりませんよね。


ココロの穴は人それぞれで、
ささいな出来事で深く傷つく人もいれば、
すんごい過酷な状況でも全く平気な人もいます。

 

その状況よりも、その人がどれだけの穴をつくってしまったかですね。

 

1つのことだけじゃなく、
いろんなことが重なってココロのキャパを超えてしまうこともあります。
(昨年の私がまさにそう。
子育てしながらお仕事されてる女性は、キャパオーバーしやすいかも)


何度も、
「ココロが弱ってるとき、
良くなる方法は頭ではわかってても、できない」

ということを書いてきましたが

 

それを手助けしてくれるのが
ココロの相談に乗ってくれるプロの人たちです。


どこが良いのか、誰が良いのか、それは相性なのでなんともいえません。

 

それよりも


自分自身がどうしたいのか


のほうが大事です。

 

ただ悩みを共感してほしいだけなのか、
日常生活に戻れるように導いてほしいのか、
自分の欠点を直し幸せに向かいたいのか、
本当の自分を取り戻したいのか、

 

それによって、
どこの誰に相談するかが違ってくると思います。

ただ、これも、


本当にココロが弱りすぎていたり、
今まで自分の意見をすべて押し殺し、

人の顔色をうかがいながら生きてきた人は

『自分は本当はどうしたいのかに気付く』
というところまでたどり着く、
という過程が必要な人もいるでしょう。

 

自分のココロの段階によって選ぶのも大事かな、と思います。

 

誰かに頼りたい、頼っていれば、私は幸せ。

という人は、
優しく依存させてくれるところに相談にいけば良いと思います。

 

そうではなくて、
きちんと自分の意志で歩んでいきたいと思うなら、
自立に導いてくれるカウンセリングのほうが良いです。

ちゃんとしたところなら、ちゃんとしたアドバイスをしてくれます。

私も本当に助けられました。


自分にとって適切なアドバイスであったなら

 

腑に落ちる

 

という経験をされると思います。

 

自分が目指す方向でない場合は

『違和感』という微妙なひっかかりがあるはずです。

(うーん・・「自分で自分を信用できない」状態だとわからないかも・・。

まあそれはそれで、遠回りかもしれませんがそれなりの経験にはなるかもしれません。)

 

(本来は、どんなに厳しいアドバイスでもココロが楽になるはずです。逆に周りが敵だらけの心理になったら方向が違ってるバロメーターのひとつかも。)

 

自分に合ったところを見つけられると良いですね。

 

ちなみに、ココロが弱った時に自分から

「病院へ行こう」とか「プロに相談しよう」と思えるのはかなりいいほうです。
本当に弱った時はそれさえできなくなるんですよね。

(「元気じゃないと病院に行けない」という、高齢者のテッパンジョークはかなり真理!)

 

なので、元気な時から自分のココロのメンテナンスが重要で、

ココロの異常事態にいち早く気付けるようにしておかないといけません。

 

私もほんっとに学びました。

★もらえるのはアドバイスだけ!

 それをどう活かすかは自分次第。

 

(とりあえず、おしまい。読んで下さってありがとうございました。)

 

★私はカウンセラーではありませんので私個人の体験談としてコレを書いています。

『事例』として読んでいただけるとうれしいです。

カテゴリ:ココロとアタマ | 13:27 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その7>自己ケアができた先には

自分で穴を埋められる、

つまり『自己ケア』がカンペキにできるようになったらどうなるんでしょう?


一切の欲望を持たない人間になるの???
そもそも人間にそんなことができるの??
『仙人』みたいになっちゃうのかしら。

 

 

なんてことも考えてしまいましたが、
『7つの習慣』にヒントがありました。

 

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(まんがでわかる7つの習慣(3)より以下引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
他者に依存した状態から真の意味で自立を獲得し、

さらに協力し合う=相互依存
 

(中略)
相互依存に至ると、人は自分と他人の力を合わせ、

一人の力の何倍もの効果を得て”大きな仕事”をやってのけられる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

なるほど^^
『自立』はゴールではなく『スタート』なんですよね(当たり前ですが)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そのプロセスに近道はない(中略)
多くの人がその道のりを省略したがり、

他人との関係を表面的なテクニックで片付けようとする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

首がどうかなるくらいぶんぶんうなずいちゃいます。

 

自分のその行動は、

どんなに『○○のため!』という大義名分を掲げたとしても

『自分の穴埋め』のために無理してるかもしれない、

と内省することは大事だし、

 

その陰で、泣いてる人(特に家族)はいないかどうか、

穴を広げている人はいないかどうか気を配らなくてはいけない。

 

と思います。

 

↓これも読んで下さい。(老婆心です、すいません^^;;)
働くお母さんたち、大丈夫ですか?(2016.11.02)

 

穴埋めのための行動や、まわりを傷つけてまでする行動は

ほんとうの自立ではないのかもしれません。

 

世界中の人が『自立』したとき。

本当の意味での『助け合い』が始まるのかも。

 

そうなったらステキですね。

★自分で治すことで、人の痛みもわかるようになります。

 

(つづく)

カテゴリ:ココロとアタマ | 12:54 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その6>依存に気付くバロメーター

私の説ですが、
過度に『依存』していないか確認するバロメーター。
人によっては目を背けたくなるほどキツいと思います。
(かつて私もそうでしたから!)

 

1>
自分が持ってる『何か』、
自分が所属してる『どこか』がなくなったとき、
またはなくなると想像したとき、
冷静でいられるかどうか。
(極度の不安や恐怖心が湧かないかどうか。)

 

 

2>
自分に優しくしてくれた人だけでなく、
自分に冷たくした人が幸せそうにしていても
冷静でいられるかどうか。

 

私の場合、このまま仕事ができなくなる!?と思った時にすごく怖かったし、

『失礼な人たち』に対してムカムカしてしまいました。
仕事依存、ワーカホリックです。

ぜんぜん自立できてないです。


そんなの当たり前の反応じゃないの?と思われるかもしれませんが、

いま、同じような状況の人がいたら

 

たしかに厳しいし辛いだろうけど、
怖がったり、ムカついたりする必要はないよヾ(o´∀`o)ノ

 

と思います。

 

そもそもが『失礼な人』いうのは私の勝手な受け取り方で、
相手は相手で必死なわけだし、

別に私を困らせるために生きてるわけではないのです。


逆に、他人はみんな自分の鏡なので、

特に自分にとって『失礼な人』はめっちゃいい先生になります。

(成長したければ、の話ですが。(※下に補足あります))

 

『失礼な人』よばわりする私自身も『失礼な人』です。何様じゃ。
(バカって言った人がバカなんだよ〜(`Д´)

という、幼児からの宇宙法則ww)

 

これらすべて、私自身がちゃんと自分を信じ、自分の軸をしっかりしておけば
激しく落ち込むこともなかったわけです。

 

仕事ができなくなるなら別の方法を模索すればいいし、
失礼な人たちからは静かに距離をとればいいだけ。
怖がる要素は一切ない
ということに気付きます。

 

 

イヤな人が幸せになっても、自分の幸せとは関係ありません。
幸せが減るわけでもありません。


それよりもその人に対してネガティブになることで気分が悪くなり、
自分で自分を不幸にしてるだけで無意味
ということに気付きます。

 

 

はい、そこで
「そんなことはわかってる!耳タコだ!できないから困ってるんだ!」
という声( ̄∇ ̄;)


そうなんです、
ココロが弱ってるとき、わき上がるグロテスクな思いや感情は止められないのです。

だから、『自己ケア』が必要なんです。

 

【うつヌケ体験】私はいかにしてニヒリズムを乗り切ったか<その4>(2017.04.24)

 

 

(補足)

これ『許す』話かと思われるかもしれないんですけど、

ちょっと違います。

『手放す』とか『気にしない』という意味です。

『許す』っていうのは結構上から目線ですよね?

ヘタしたら『傲慢』になるんじゃないかな〜?と思います。

 

(つづく)

カテゴリ:ココロとアタマ | 12:31 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その5>大人げない大人?

ほんとうの「自立」ってなんなのか、
そもそも自立してる人ってどういう感じなのでしょう。

 

自分の選択に自信と責任を持ち、
素直で、感謝を常に忘れない。


それから、ココロに穴が開いたときは
誰かや何かのせいにせず、ちゃんと自分でケアできる。

 

こんな感じかなーって思うんですが。
表面上は特別なことはなく、普通にいい人かなと。

 

私も模索中なのですが

 

自分でなんでもできる人が自立してるのではない

 

ってことだけは確かだと思います。
これは『自活』ですよね。
(もちろん、成人したら自活目指してがんばりますが、
それはあくまで実生活の話。)

 

こどもの頃は「大人はみんな自立してるはず」と思い込んでいたのですが、
実際、自分が大人になったら、自分も含めて
穴ポコ開きっぱなしで全然自立できてない大人ばっかじゃん!
という現実知っちゃったと…ヽ(;▽;)ノ


大人になったら自動的に自立するわけじゃなくて、
自立したいのならば、
それなりの努力が必要ってことですよね。

 

もちろん自立してなくても生きていけるわけだし、
どんな状態であれ、幸せになることはできると思います。

 

ただ私は、
自分の今までの経験上、
「自立」したほうが気持ちよいのではと思っているだけです。

 

それから、前にも書きましたが

子供たちに精神的に自立した大人になって欲しいのです。

 

自立さえしていれば、
あとはどんな仕事に就こうが、誰と結婚しようが、
どうとでもなるような気がします。

 

子供たちを自立した大人にするにはどうしたら?

 

育てる親が自立しないと無理でしょう!

 

仮に、私が今、子供たちに
「自立した大人になりなさい」と言ったとしても
「お前がゆーな!!」って思われるわ( ̄∇ ̄;)

 

もちろん
意識せずに自然に自立できてる人も大勢いらっしゃると思いますし、

それが理想です。


でも現実に、
「大人」が「大人」になっていれば諸々の「大人げない事態」は起きないはずなんで、
「大人げない事態」が多いということは、「大人げない大人」が多いってことですよね。

 

パワハラ、なんかまさにそうですよね、
せっかく地位を獲得したのに…なんで?もったいない(;´д`)

 

パワハラを与えるほうもそうですが、

受けるほうもココロに何らかの穴があって逃げる事ができないんですよね。

 

少なくとも、指導に当たる人は

ちゃんと自己ケアができるようになっておいてほしいと思います。
学校の先生は特に。(切実です)

 

本当は、自分で自分を適切にケアすることは
成人前に習得しておくべきスキルなんじゃないでしょうか。


でもできてない人が多いのは、

 

自分で自分をケアできることを知らない人が多いからかもしれません。
(私も知らなかったし。)

 

ずっと日本の子供たちが教えられたのは
自己ケアではなく『我慢』。


これはもう、誰が悪いとかじゃなくてずっとそうだったんだもん、
歴史の上でそういう空気だったんだから仕方ないでしょう。

★教えられてないことはできないのは当たり前。

 

くり返しますが、

そういう空気だっただけです。

(↑これ大事!過去は過去です。今からどうにかすれば良いだけの話です。)

 

時に『忍耐』は必要ですが、
『我慢』をしている限り自立はできないと思います。


(つづく)

カテゴリ:ココロとアタマ | 15:56 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その4>視野を広げて客観視を育てる

自分で穴を埋められるようになると何がいいの?
なんでそんな必要があるの?

 

…えーっと…( ̄∇ ̄;)

私はまだ途中なので、今の段階で、なのですが、

(意識して始めたのは半年前くらいで

全然足りん!と気付いて本腰入れて1ヶ月半くらいです。)

心が穏やかになりました。

優しくなりました。

 

いやもちろん、今までも穏やかで優しかったですけどヾ(o´∀`o)ノフンフンフ〜ン


『質』が変わってきたんです。

 

説明しづらいんですが、
恥ずかしながらどうしても克服できない部分があったんですが
克服できつつあります。

 

嫌われることが怖くなくなった、というのがわかりやすいかな。
うーん微妙に違うかな…まあ、そんな感じです。

 

ビフォー・アフターを思い返すとちゃんと成果はでてるようです。

もちろんこれは、
今までの人生経験や学び等々もあってこそだと思います。

 

『自分で埋める』方法を成功させるには、
『客観視』をいかに成長させるかが大事だと実感しています。

 

客観視についてはこちら↓
【うつヌケ体験】私はいかにしてニヒリズムを乗り切ったか<その1>(2017.04.20)

 

あっ、勘違いされてると困るんですが、
客観視っていうのは『他人事にする(自分事と捉えない)』じゃないですよ、
それはたんなる現実逃避ですよ!

 

『客観視』は結局『自分』なので、
狭い思考の自分が自分を見ても
当然狭い範囲しか見えませんし、
あっという間に感情に飲み込まれます。

 

視野を広げることが重要です。

 

客観視を鍛えるためにできることはいろいろあります。
私は障がい児のことを調べたり学んだりすることでついでに客観視も鍛えられました。


それから、なるべく先入観を入れずに子供と接するとか。
本もいろいろ読みました。
仕事柄、いろんな職業の人とお話できることも良かったです。

 

私はガンコで思い込みも激しいと自分でわかっていたので
定期的にカウンセリングを受けたりもしました。
そうして第三者から見た自分を教えていただくことで軌道修正していきました。

 

いずれにしても、

 

素直で謙虚

 

この姿勢がないと、吸収はできないですよね。


特別なことはしなくても、客観視を鍛えるだけなら
日常から学ぶことはたくさんあるので意識するだけでもだいぶ違ってきます。

 

(つづく)

カテゴリ:ココロとアタマ | 14:43 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その3>自分で穴を埋める方法

ヒト、コト、モノに依存している場合、
それが『ある』うちはいいですが、

 


なくなったらまた不安になり、さらに穴が大きくなることもあります。

あらたに依存するものを探すことになるだけです。


悪循環ですよね。

 

そこで、
一番手っ取り早くて、お金もかからない!
素晴らしい方法がこちら!
(健康番組みたい( ̄∇ ̄))

 

自分で埋める!

 

↓具体的な方法はこちら↓
【うつヌケ体験】私はいかにしてニヒリズムを乗り切ったか<その4>(2017.04.24)

 

この方法の素晴らしいところは、

 

どんな宗教を信じていようが、
または信じていなかろうが、
神は死んだと思っていようが、
スピリチュアルとか超常現象とか陰謀論を信じていようが、
過去にどんな辛いことがあろうが、
現在どんな辛いことがあろうが、
周りが敵だらけに見えていようが、
病気だろうが、障害があろうが、
日本だろうがブラジルだろうが、

 

一切合切、森羅万象、空前絶後、関係なく、
いつでもどこでもできるんです!

 

どうぞみなさんもやってみて下さい♡

 

…と、簡単に書きましたけども、
それができないから困ってるんだ!と。
そうです、そうなんです。

 

これが完璧にできるようになるまで試行錯誤するのが
『人生の目的の一つ』なのかもなあ〜なんて思います。

 

私も自分で自分を癒すことの大事さはずっと前からわかってました。
でもできてなかったんです。


というよりも、自分のココロの穴は、
自分が把握していたよりも大きくて深かったんです。
ですので、
もっともっと、徹底的にやらなくてはいけなかったんです。

 

『自分で埋める』ということを意識しだして
まだうまくいかないことも多いですが、
少しずつ、着実に上達してます^^

★だんだん細かな穴にも気付くようになってきます。

 

 

(つづく)

カテゴリ:ココロとアタマ | 12:02 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その2>過度な依存と恐怖心

世の中にある様々な『モノ』『コト』は

ビジネス戦略としていかに消費者を依存させるかを前提に作られているので

それについのっかっちゃうのは仕方ない話なのでしょう。

 

楽しめる範囲であれば世の中をうまく回していけるかもしれません。

 

しかし、依存しすぎてしまうと問題です。

 

今まで生きてきて、

自分も含めて何らかに『過度に依存』している人をいろいろと見てきちゃいました。

困らされたこともありましたね…。

 

そんな中で、一番たちが悪いというか、
だれも幸せにならないだろう依存が、
『特定の人に依存』じゃないかなと思います。

『執着』と言ったほうが良いかもしれません。

 

そして、

執着している人は執着していることに気づくことができません。

(病んでることに気づける人は病んでない、という言葉は真理ですね。)

 

あくまで私の説ですが、

執着してるのかどうか見分けるのは簡単で、
『恐怖心』があるかどうかです。

 

例えば、


相手が離れていったら怖いと思う(なので、いつも監視する)
相手の機嫌を損ねたら怖いと思う(なので、いつも従順になる)
相手が自分の知らないところで楽しんでいたら嫉妬する(なので、相手の楽しみを否定する)
相手が自分と関わりのない部分で幸せそうだったら嫉妬する(なので、壊そうとする)

 

などなど。

 

ちなみに嫉妬は自分のものでなくなるという恐怖心、

つまり、自分の支配下に置いておきたいという依存心です。

 

聖人君子じゃないんだから(*´Д`)
人の幸せを素直に喜べないこともあるでしょうが、
思ってるだけじゃなく行動に出てしまうのは困りものです。

 

相手を思いやる気持ちではなく、
恐怖心からの行動なので、
端からみれば奇異にしかみえません。

 

なぜそのようになってしまったのか、理由は様々あると思いますし、

ココロの深い穴から来てる行動なのでしょうが、

 

その行動で、ココロの穴が埋められることはないと思います。

 

極端な例で言えば
自分のものにしておきたいがために、相手をあえて病気などにして弱らせ、
献身的に看病するという超怖いのもありますよね。

相手が病気だと安心する心理…

いやもうほんとヤバいって(((( ;゚Д゚)))

 

人との別れがさびしいと思うのは自然ですが
別れてもいないのに想像だけで『恐怖』を感じるのは


ココロが発する何らかの危険信号かもしれません。

 

『思考停止』状態では恐怖心すら感じないこともあります。

心当たりがある人は気付いてほしいです。

 

私も人に依存されかかったことがありまして(;´д`)ゞ

「この人と関わってると引きずり込まれる!」と早めに気付けたので良かったですが…。

がんばってる人を応援したい気持ちが裏目に出たようです。

 

そんな経験から、あんまり人に優しくしちゃいけない(甘やかしちゃいけない)んだな、

と学びました。

 

そして思い出したんですが、
私自身も苦しい時に特定の人に頼りすぎていた時期があり、
あー…あのとき、あの人はこんな気持ちだったのかー…
しょっちゅう私のグチを聞かされて、
ずいぶん辛かったろうな…と、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました(´;ω;`)

 

人にしたことは見事にちゃんと返ってくるなあ、と、
『因果応報』の宇宙法則ですねヽ(;▽;)ノ

 

※つらい気持ちは吐き出したほうが良いのですが、
精神が安定してるように見えても、何らかの傷を抱えて生きてる人は多いです。
そういう人に悩みを話した場合、相手に相当な負担をかける場合もあります。
できればプロのカウンセラーさん等にお願いしたほうが良いです。
(このことは後日補足しますね)

 

(つづく)

カテゴリ:ココロとアタマ | 13:50 | - | - | - |
ココロの穴を埋めてほんとうの自立へ<その1>健康的な依存と度を越した依存

生きてると
こころにぽっかり穴があいたり、
傷が出来てしまうことってありますよね。

 

人間は集団行動の動物なので、

その穴を埋めるために
助け合ったり、補い合ったりしながら生きてます。

 

『モノ』や『行動』で埋めることもあります。

適度な(健康的な)依存は世の中をうまく回していくと思います。

 

しかし、

的外れで無理矢理押し込んでる場合。

 

 

そしてそこに、
「穴が開いたままではダメ!埋めなきゃ!」とか、
「このままでは生きていけない!」
というような


『あせり』や『恐怖心』がある場合。

それが『(度を過ぎた)依存』の正体かもしれません。

 

わかりやすいのはお酒、ギャンブル、宗教、ネットなどですが、
実際にとても多いのは


『他者からの承認』(私を認めて!)

 

でしょうね。

 

子が親に、親が子に、妻が夫に、夫が妻に。
上司に、友人に、会社に、組織に、世の中に。

 

『いいね!』やアクセス数など『数字』にこだわる人も多いですよね。

 

私の場合は『仕事』に依存ぎみだったわけですが、
それも結局『承認欲求』だったんでしょう…(;´д`)

 

逆に言うと、
『承認欲求』があったからこそ無理してでもがんばれたわけで、
ひとさまのお役にも立てているかもしれません。
なので、悪いことではないとは思うのですが

 

肝心の穴埋め作業にはならないみたい。
(うまくいく人もいるかもしれませんが、私にはムリでした)

 

ネットやギャンブル等も、自分を充分に認めてもらえてないと感じるから

ハマってしまうのかもしれませんね。

 

結局すべては『承認欲求』の結果なのかもしれません。

 

(つづく)

 

★私はカウンセラーではありませんので私個人の体験談としてコレを書いています。
『事例』として読んでいただけるとうれしいです。

カテゴリ:ココロとアタマ | 15:52 | - | - | - |
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