時には勢いでものを壊し、
怒られてもその声は届かず、
捕まえられても腕を振りほどき、
一瞬落ち着いても、
また同じことを繰り返す。
そういう子はまあまあ見慣れてるのですが(笑)
立て続けに、多動がかなり激しい子とそのお母さんとお話しすることがありました。
話を聞いていて、お母さんたちはかなり疲れてるな〜と感じました。(当たり前なんだけど)
申し訳ないという気持ちと子供を守りたいという気持ちがせめぎ合い、
表向きは気丈に振る舞わざるを得ないようです。
わかるわかるぞ〜〜!!
「いや〜、うちの息子も発達障害で幼いときは大変でしたよ〜!」
なんて笑いながら話すと、お母さんの固かった表情がパッとほぐれます。
その瞬間、少しだけど「理解者1」になれてよかったな、と思うのです。
こちらの記事もぜひ読んでね↓
※発達障害とは、社会的に困難がある場合に使われる言葉です。
本人が特性を活かして生活できている場合は障害ではありません。
障害=特性を活かせていない
と考えた方がわかりやすいと思います。
そうなると本人だけの問題ではないということがよくわかります。
]]>「失った時にそのありがたみに気づく」
なんてことを言われますが、
「失った時にそれがいかにゴミだったかに気づく」
って事もあるんですよね。
両方大事なんだろうな、と思います。
]]>
前回のお話はこちら↓
昨日掃除していたら、部屋の隅に金属のようなものを見つけました。
何かのネジが飛んだのかな?と思いながら拾ってみると・・
なんと!金の鳩です!
実は・・再び金の鳩をゲットして
財布につけていたのですが・・
半年ほどでまた消えてしまったのです。
闇の組織が平和を阻止しようと平和の使者である私から金の鳩を奪ったのです。
・・なんて厨二病的なことではなくて
単に扱いが雑なだけです(泣)
鳩が消えて1年以上経ってるし、
当然ながらその部屋は何度も掃除してるのですが、
(ちなみにこの部屋には家具を置いてません。押入れはありますが、押入れから離れたすみっこで見つけました。)
なんでそこに金の鳩がいたのかまったくもって謎です。
まるでタイムスリップしたような感覚になりました。
なにはともあれ、再び私のもとに戻ってきてくれたことが本当に嬉しくて、
財布じゃないところに付け直しました(笑)
さて・・
・・ここで疑問が湧きました。
この鳩は、1羽目でしょうか、2羽目でしょうか。
どちらなのでしょう????
12月8日はジョン・レノンの命日であり、
ブッダが悟りを開いた(成道)日だそうです。
ちなみにブッダは何を悟ったのか。
一説によれば、『縁起』と言われ、
私たちが常日頃から使ってる意味ではなく以下のような意味だそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「すべてのものには必ず原因があり、その原因をなくすことができれば、その原因から生じてきたものもなくなる」
つまり、「人生の苦しみには必ず原因があり、その原因をなくせば、苦しみがなくなる」ということになる。
苦しみの原因は欲望であり、より根源的には無知であるとされる。欲望があるから、無知であるから、われわれは苦しみ、欲望をなくし、無知でなくなれば、われわれは苦しむことはないということである。
(『ブッダ 今を生きる言葉』より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーー
私もまさにそうだったのですが、いつも悩みを抱えてる人は
なぜか常に悩みの原因にわざわざ寄っていって、わざわざ抱え込んでしまうのですよね。
その原因は大概が「世間体」であったり「承認欲求」だったりで、
ひとくくりにしてしまえば『欲望』であり、
その欲望を発生させているものは、
そんなものはなくても良い、ということを知らないという無知、ってことかもしれませんね。
ジョン・レノンをなぜ殺害したのかは犯人しか知らないことですが、
欲望と無知が原因のひとつなのかもしれません。
怖いですよね。
せめて、自分が無知であることを自覚していようと思う私です(笑)
人類の行く末を決める宇宙会議<その1〜5>(2021.3〜4)
]]>
8年前の夢の中で、ある年齢で肺の病気になると言われました。
その時の記事はこちらです↓
病気になることは決定事項だったのですが、
私が冷静になったことで「生き方を間違えると病気になる」と書き換えることができた、
というのが前回のあらすじ(笑)です。
そしてその運命の年が先月で終了しました。
新型コロナもインフルエンザも流行ってるしで
いつ感染してもおかしくない年でした。
感染して肺がやられて、
宮沢賢治氏のようにそのままあの世というルートもあったかもしれません。
誰とも会わずに引きこもって生活したおかげです。
・・なんてことはなくて、多くのいろんな人と会ったし、小学生たちとも接していました。
今思えば、変な話ですが「絶対に病気にならない」という根拠のない自信もありました。
”生き方を間違えなければいい”だけだからです。
とはいえ、無事に誕生日を迎えることができた日は嬉しかったです。
やりとげたーーー!!って心の中でガッツポーズでした。
今後、もし咳が出るような病気になったとしても
それは『ただの病気』なのでなんてことない。
不可避で意味のある病気と、ただの病気は雲泥の差です。
それくらい、この1年間病気にならなかったのは
自分の中では本当に重要なことだったと思います。
*
そんなこんなで運命の1年でしたが、
少し引っかかるところもあります。
8月に息子、そして娘が順番に高熱を出したのです。
ぐったりして食欲もなく、寝たきりの生活。
息子は熱が下がってからも咳が続きました。
うちは賃貸で部屋が少なく完全隔離は無理です。
それでも私には感染しなかったので、
母の気力って我ながらすごいな、と思っていましたが、
息子と娘が私の肩代わりをしてくれたのかも・・とも思うのです。
そんなバカな!と思われるかもしれませんが、
もし私がなるはずだった肺の病気が先祖からのカルマだとしたら、
子孫である子供たちが引き受けるのはありえることです。
2人分の強烈な病気を私が一人で受け止めていたら、と考えるとゾッとします。
子供たちには申し訳ないですが、体力のある者が対処するしかなかったのかもしれません。
*
それから、ブログにも書きました先月の肩の炎症。
レントゲンを撮ってもらいましたが、
肩の部分になにやら炎症の影ができていました。
今思えば、あの影が10数センチ右に移動して肺にきていたら・・と思うと・・・
怖い怖い!ヤバかったです!
*
夢で言われた肺の病気は回避できましたが、もしかしたらかなりギリギリだったのかもしれません。
今は五体満足で3食とおやつを食べられることにただただ感謝です。
ちなみに、正しい生き方ってどういうことなのか、ですが
あくまで私の考えですが、
ただただ自分を生きること
これに尽きると思います。
ギリギリだったってことは、やっぱり私はまだまだ自分を生ききれててないのかもしれません。
まあ、全部私の都合の良い妄想かもしれないですけどね(笑)
いずれにしても健康第一です!
知られた途端に周りの目は不公平なものとなる。
よって、世界を公平に捉えることが不可能となる。
(哲学者=『知を愛する者』)
今朝、急に湧いた言葉です。
先日久しぶりに『崇高なるソクラテスの死』を読み返して
感情が高ぶったからかもしれません。
そういえば ある文化人が
「まわりから先生と呼ばれるようになったら
考え方がだんだん変わっていってしまう(無意識に増長する)」
というようなことを言っていて、
人の上に立ったり、指導する立場になった時は
本当に気をつけなくてはいけないなあ・・と思いました。
]]>
あまりに痛くて腕を動かすことができません。
何をするにも全力疾走したように疲れるし、
クッションで支えないと横になることもできず、
眠ることもできず、腕をかばいながらなので全身筋肉痛。
翌日はさらに悪くなり頭がボーッとして身体中がだるい。
たいがいの病気は寝れば治る(持論)のですが寝られないからつらい。
さすがにこれは病院に行かないとヤバいやつだとわかっていても、
腕が激痛になったのは金曜の夜で、土、日、さらに祝、
火曜の開院まで持つだろうか…と痛さに耐えていました。
日常系精神修行オタクにとって、
病気というのはいろんな情報をくれるのですが、
この時に強く感じたのは『地球の重力』でした。
「重力が痛い」のです。
肩というパーツはうでという細長い棒を強くて緻密な仕組みで支えてるのだと
しみじみ実感し、
過去何度か経験した外科手術の後の身体の重さも思い出しました。
地球の重力は、人間が健やかに生きるためには少し重すぎるんじゃないかなあ。
肩こりや腰痛で苦しむのは人類が農耕を始めてから進化の加速に身体が追いついてないからと『サピエンス全史』で読んだなあ。
なんてことを呑気に考えてたら
すこしずつ回復してきて、火曜の朝には痛みがだいぶおさまっていました。
(でも一応整形外科行きました)
痛みが取れた時、もう何をやっても嬉しくて。
腕が動く!腕が上がる!着替えをしても疲れない!寝返りがうてる!
しあわせーーーーー!!
って感じで、ヨロコビが半端ない。自分でもびっくりするほどの多幸感。
残念ながら私はまだ、何か困った状況と比較しないと多幸感は得られないのだと実感もしました(笑)
幸いにも仕事が落ち着いていたのと、
連休中だったので息子と娘がほとんどの家事をやってくれて
ゆっくり休むことができて助かりました。
ちなみに、何が原因で肩痛になったのか。
思い当たることがありすぎて、全部ひっくるめて言うと、
加齢と運動不足
だなと。
地球の重力に負けないように鍛錬しないとです(苦笑)
]]>
固まってるように見えても実は振動しています。
そしてこの振動が波動となって互いに影響を与え合い、エネルギーを伝え合っています。
つまり、
自分が見たもの触れたものは、どんなものであっても少なからず影響を受けます。
波動の高いものを食べましょうとか、波動の高い人に会いましょうとか言われるのは
そういうことですね。
大まかには賛成できますが、『波動は高ければ高いほど良い』という単純な考えは
ちょっと注意が必要なんじゃないかな?と思います。
昔、こんなことを教えてもらいました。
「振動数が高くなると、その人の本性が出る」
***
振動数や周波数の単位は『Hz(ヘルツ)』。
『音』で考えるとわかりやすいですが、数字が小さいほど低音、大きいほど高音、となります。
ここで、洗面器に水を入れて揺らす実験をしてみましょう。
粗い振動を起こせば大波になりますが、
細かい振動を起こせば水面が揺れる程度です。
さらに細かい振動では、水面は何も起きてないように見えます。
1秒間に4万回の高速振動!
超音波洗浄機は、水に細かーーーい振動を起こす機械です。
微細な振動で、ミクロレベルの汚れを浮かしてきれいにすることができるのですね。
つまりですよ、
大きい波は派手なので、なんか大変なことが起こってる!と気づけますが、
細かすぎる波は、何が起こってるか気づけません。
なのに、汚れは落ちやすくなるんですよね。
想像してみて欲しいのですが、
大波にあおられて自分のまわりが汚れだらけになったら
波が汚れを落としてくれたんだ!と思えますよね。
でも、波も何も感じない中で、急に自分の周りが汚れだらけになったらどう反応するでしょう?
おそらくは恐怖におちいるか、自分以外の誰かが汚れをまき散らしてるんだ!と思うんじゃないでしょうか。
(自分の汚れと他人の汚れを見極めるのも重要ですが・・。)
汚れた水は排水する(自分から出た汚れだと認識して捨てる)
汚れた水はそのままにする(誰かが捨てるのを待つ。文句言う。気づかない。見て見ぬふり。)
そこでどう反応するかも自分の本性です。
***
そしてまた、冒頭に戻りますが、
人を含め、全てのものには固有の振動数があります。
人それぞれ振動数が違います。
ってことは、
生まれながらに極端に振動数の高い人は大変なんじゃないかなあと・・
周りが理解できる人たちでないと本人も周りもいろいろあるでしょうね・・。
***
「振動数が高くなると、その人の本性が出る」
うっかり振動数の高いものに触れて、世渡りのために演じていた仮面のメッキ(汚れ)がはがれたあとは、
自分の本性と向き合うしかなくなります。
それって本当に大変だし、勇気がいりますよね。
ですが、
汚れが出たことに気づくことができるようになれば、それだけでもかなり成功じゃないかな?と思います。
(再掲)人は皆、自分の人生を自分で決めている?(2021.07.22)
]]>
あるSNS投稿で、楽しいはずの文章の最後にぴえんマークがついているのをみて、
疑問に思いました。
私「なんでぴえんなんだろ。これおかしくない?打ち間違えたのかな?」
娘「かわいいからつけてるだけだと思うよ。」
私「もっと楽しそうな絵文字があるのに。」
娘「おめめうるうるだから。」
私「だったらおめめうるうるで口元が笑ってるのを使えばいいじゃん。」
娘「機種によって表示されないんじゃないかな。」
私「だったらやっぱり笑ってる絵文字の方がいいじゃん。意味わかんない。」
娘「絵文字に意味なんかない、ただかわいいから使うだけで意味があって使ってない。」
絵文字に意味はない?????
そんな概念、一切思いつかなかったのです。
そういえば、何年か前に知り合いの知り合いを紹介され、
その後その方がメッセージを送って下さったのですが文末が
「今後ともどうぞよろしくお願いします🥺(ぴえんマーク)」
だったのです。
それを読んで、
え!何か失礼なことした?そんな悲しませるようなことをしたのかな??
と、めっちゃ悩みましたし、いまだに悩んでました。
絵文字に意味はない・・・
なんだそうだったのか・・
悩んだ時間を返せですわ。
何事も意味を深く考えるのは私の悪い癖かもしれません。
もっとフィーリングで良いってことですね。
絵文字で新たな悟りを得ました(笑)
ゴーストライターの文化はそろそろ終わりを迎えるのではないかな。
日本でも当然のように存在しているゴーストライター。
ビジネスとしては有名人のネームバリューが必要ですし、読者にもわかりやすく伝えるためには技術を持ったライターさんが必要なのはわかります。
ですが、実際に文章を作った人の名前を隠し、別人がすべて著作したとするのは、ものすごく単純に言えば 嘘 ですよね。
作品に費やす労力は会社として行ってるからゴーストライターの存在は出版社名に含まれてる、と考えれば間違ってるわけではないです。
(校閲さんとか営業さんとか、関わった人全員の名前を書くのも現実的ではないですし。)
でも、これは労働者社会の思想で、今後おそらく主流となる”すべての人が技術者の社会”では、もう通用しない古い考えの気がします。
とりあえずは、フリーランスで働かれてる人の名前は、誰かの代筆の場合も明記するのが普通になるのではないでしょうか。
もちろん黒子に徹したいライターさんも、ペンネームやクリエイターネームなど何らかの形で記載するようになるかもしれません。
正しい記載は作品にも良い影響があるのではないかと思います。(ウソがなくなるからです)
**
ところで話は変わりますが、今現在ハリウッドが大変なことになっているようです。
脚本家や俳優たちのストライキが続き、あらゆる作品の制作がストップしてしまっているのです。
それぞれの不満が噴出した結果でしょうから何も言えませんが、観客の1人としてはちょっと切ないですね。
理由の1つとしては、AIの存在らしいです。
AIの進化を見れば仕事を奪われるかもしれない焦りはよくわかります。
どんな仕事もそうですよね。私も人ごとではない(^^;)
AIで制作した作品は、文章でも絵画でも音楽でも、AI作と記載するべき。
私もこの意見に賛成します。
人間だからとか、AIだからとか、そういうことではなく
その作品を創ったクリエイターは、嘘偽りなく本人の名前をクレジットするべき
と私は考えるからです。
誰でも参加できる!『違和感システム』(2014.01.16)
]]>
もともとはゲーム用語だそうですが今はビジネス用語として使われることが多いようで、
ざっくり簡単に言ってしまうとこんな意味だそうです。
競い合いながら高め合い全体を広げていく
全員がメリットになる状況を目指す
Win-Winとの違いは、協力ではなく競争、ってことでしょうか。
アスリートたちが磨きあって新記録を目指すようなイメージですね。
(違ってたらご指摘ください)
私は自分のペースを守ることが、精神衛生上一番安定するので競争は苦手なんですが
この考え方は好きです。
<ゼロサム(ゼロ和)>A+B+C+D=元と同じ大きさ
<ノンゼロサム(非ゼロ和)>A+B+C+D=元と異なる大きさ
Aが広がればBCDとも大きくなる
収穫量で考えるとこんな感じですね。
<ゼロサム(ゼロ和)>
土地の面積は変わらないのでAの収穫量が増えれば他が減る。
お隣の土地を奪うなど。
<ノンゼロサム(非ゼロ和)>
Aの収穫量が増えれば他も増える。
土地の面積は変わらなくても土壌改良や収穫方法でお隣と競争するなど。
誰のものでもない農地を開拓して広げるのはノンゼロサムでは?と思うかもしれませんが
地球規模で考えれば、広げるために森林を大規模に焼くなどすれば
ゼロサムまたはマイナスサムになる場合もあると思います。
ノンゼロサム、そんな世の中を目指したいです。
簡単にいかないのも重々承知ですが(笑)
何も奪わずに、生きていけたらいいなあ・・と思います。
今日は夏至。
今日までにどうしてもこの話を書かなくちゃいけない気がして、ギリギリ間に合いました(笑)
]]>
コロナ前の話。
お出かけ中、私好みの飲食店を見つけたので入ってみました。
通りにポツンとある小さな店。地元の人が立ち寄るのでしょう。
まだ新しくてきれいだし、何より店のデザインがカッコ良い。
そして店内には店長の趣味だと思いますが某アーティストの曲が流れていました。
実はその時、一緒にいた連れの一人の機嫌が悪くて、店に入るのも渋々な感じでした。
(普段そういう人ではないのですが色々あってストレスがかなり溜まっていたと思います。)
私は人の感情の影響を受けやすいという超めんどくさい体質なので(苦笑)
もや〜んとしたまま注文したのですが、
店内を眺めているとふわっとしてくるというか・・
店全体が「嬉しい、嬉しい」にあふれているような気がしました。
そして料理を食べていると
私も(連れも)「嬉しい気持ち」になっていました。
帰り際、店長らしき人に話しかけました。
仕事ならいざ知らず、人見知りなのでプライベートでそんなことは普段しないのですが何故かその時は話を聞きたかったのです。
ニッコニコの店長曰く、ずっとキッチンカーで販売をしていて最近お店を構えたそうです。
店長の「好きなもの」がぎゅっと詰まったお店だから
「嬉しい」があふれてるんだなと感じました。
「自分の好きなもの」を表に出すのは本当に大切なんですよね。
「好き」には「好き」が引き寄せられ、
「喜び」があふれれば世界だって平和になるかもしれないです。
少なくとも、連れの機嫌がなおってくれたのは万々歳です(笑)
★このお店は今も変わらず営業してます^^
世界はこんなにシンプルだったのか<その6>否定するなかれ(2017.10.13)
]]>
仕事での打ち合わせ中。
「○○さん、応援してますよ!」
色々と不安にかられているようだったので、少し元気づけるつもりで言ったのですが、
その途端、その人はパッと目の色を変えました。
私としては
「○○さん”も”応援してますよ!」という意味だったのですが、
相手は
「○○さん”だけを”応援してますよ!」と受け取ってしまったと気づきました。
・・しまった・・またやっちゃった・・
今までの経験上、この人そういう人だってわかってたはずなのに・・
それでも私もずいぶん賢くなりましたので
その後はやんわりクールに対応し、仕事も無事に終えました。
*
基本的には私は全員を応援しています。
自分に関わりがあろうがなかろうが関係なく。
(って書くとめっちゃいい人みたいですが
これってつまり、誰も応援してないとも言えるので騙されちゃダメです(笑)。)
ずいぶんズルい考えだと言う人もいるでしょうし、
特定の誰かや何かを応援してる人の方が信用される世の中なのは確かなんですよね〜〜!
今はまだ、
応援の反対側には「相手の負けを希望する」という意味が込められます。
ジャンルによってはこっち(負けろ)の想いのほうが強いかも知れないです。
競争原理の社会で勝敗を避けて生きるのは実にムズカシイ。
理解してもらうこともまだまだムズカシイ。
がんばれ、私(^^)
]]>
ずっと前の話ですが、
なんの気なしにそんなことを言ったら、ある人からこう言われました。
「まず自分が動かないと。パセリさんが声をかけたら協力してくれる人が集まるはずだよ。」
それを聞いて、ものすごく恥ずかしくなりました。
集まるはずだよって言ってくれたことが嬉しくて。
・・・ではなく、
自分の軽々しい発言に対してです。
実際、その人は行動力があり、
周りに声をかけながら協力者を集め、実行にうつせる人です。
今でこそ、当たり前のことを言われただけだってわかりますが
(この”当たり前”ってのが大事なのです!)
”実行”を意識して行動していたにも関わらず、
まだまだ無意識に他力本願だったと思い知らされてしまいました。
*
発言だけならどうとでも言えるし、
責任を取る必要もないかもしれません。
家族が・・とか、時間が・・とか、お金が・・とか、
教育が・・とか、政治が・・とか、世の中が・・とか、
やらない理由を並べればいくらでも出てきますよね〜。
それでも勇気を出して動いた時、
湧き上がるのは関わってくれた人たちに対する深い深い深い感謝なんです。
*
「全部コロナのせいで」
どうにもならない時は、心を守るために何かのせいにすることも本当に大事だと思います。
しかしいよいよコロナ禍の様々な制約が明日から開けます。
この3年をどう過ごしたか、結果が出てくるのでしょうね。
もう言い訳はできない!!
怖くもあり、楽しみでもありですが
すでに私はコロナ禍が懐かしくなっています(笑)
安定なき世界だからこそ、退屈はない。がんばろう(^^)
6年前から世の中は変わった?〜出る杭を打つ人〜(2020.12.25)
]]>
小学生たちに聞いてみました。
「体育は先生がはずしましょうって言うよ。
でも、はずしてすぐに口をおさえるひとも多いよ。」
「マスク生活が長かったからちょっと恥ずかしいかな。
ないと不安に思う人もいるかもね。」
「ボクはずっと前(緩和前)から外してるよ!」
なるほど、人それぞれだよね(笑)
3月からマスクの着用が緩和されたとはいえ
花粉の季節がモロかぶりでやっぱり外せない人も多かったですが、
イベント類が普通に行われるようになり、
5月8日に新型コロナもインフルエンザレベルの5類に移行とのことで
マスクをしていない人も町なかでちょくちょく見かけるようになりました。
約3年前、マスク着用が義務付けられ、いろんな意見もありましたが、
私は「口元でウソをつく人がやりにくくなるだろうなあ・・」なんて思っていました(笑)
マスクをしててもにっこり笑えば赤ちゃんはちゃんと笑い返してくれたし(実験済み)
私自身は人の表情が半分しか見えなかったことで困ったことは一度もなかったですが、
高校生が「マスクした顔しか知らない同級生がたくさんいる」と言っていて、
たしかにそうなるよねー!と納得しました。
しばらくは、マスク外すの外さないので混乱するだろうし、外したら外したでまたいろいろ言う人は言うでしょうが、
あの時は大変だったよねーって
思い出話になる時も来るんだろうなと思います。
]]>すでに昔ですが(笑)
カウンセリングを受けるようになってしばらくたった頃、
このように言われました。
「あなたが”うまくいかない”と感じる時は、
世の中や人のせいにした時です。」
現在では『原因自分論』など、一般的にもわりとポピュラーだと思いますが、
その当時は一部の人にしか知られてなかった思考だと思います。
とても衝撃でした。
ずっと我慢を重ね、歪み、いつの間にか人のせいにしていたようです。
その後、すべてをまず自分に原因があるととらえるようにしました。
何かトラブルがあった時に「自分に引き寄せる原因があるのかも」と立ち止まって考えるのです。
相手のせいにしなくなり、「なんで○○しないの!」とイライラすることが減り、
気持ちが楽になっていきました。
そしてこの考え方でかなり状況も変化し、
どん底から這い上がって前向きに進めるようになりました。
*
ところが、ある時から壁にぶち当たります。
すべて自分のせい、という考えではどうにも矛盾が生じることに気づいたのです。
↓こちらに詳しく書いてます
悪を悪と認識しなくてはならない理由<その2>ゆがんだ性善説(2021.01.15)
世の中には、そういった『すべての原因を自分で引き受ける人たち』を利用する人もいるんだと知りました。
本当の『悪人』もいるでしょうが、ほとんどは、要領が良い、世渡りがうまい、って人でしょうね。
つまり、
すべては自分が原因、と考えるのと並行して
世の中には自分のスキルでは手に負えない人もいる
自分の責任において、そういう人とはそっと距離を置く
場合によっては全力で逃げる
ということを知っておくべきだと強く思いました。
*
今現在、ちょこっと賢くなった私ですが(笑)
やはり以前言われた
「あなたが”うまくいかない”と感じる時は、世の中や人のせいにした時です。」
という言葉は本当に正しいと感じます。
だから、いつも人のせいにしたり
世の中の批判や悪口を息を吐くように、無意識に言ってる人を見ると
「この人大丈夫かな・・」と(余計なお世話ですが)ちょこっと心配になります。
実際そういう人はどんなに調子が良くても後々おかしなことになってるように思います。
*
とは言え。
やっぱり人間関係、困り事や腹立たしいことは起きますよね。
そんな時は
「ま、私も大概だけどね(てへぺろ)」って一人ツッコミを入れてます。
相手のペースに巻き込まれないことが何より重要だと思います。
]]>
苦手なことも自分でやらなきゃいけないことです!
会社員時代は担当部署が書類のお仕事を全部やってくれてたのでしょう。
会社員だったらどれだけ過酷か知らずに生きられたなあ(笑)
フリーランスは時間が命。
1円にもならないのにやらなきゃ仕事ができない、非常に過酷な作業です。
今回、仕事上で必要な、ある公的な書類を作成したのですが、
添付する書類を4箇所から取り寄せなくてはいけなくてかなり面倒。
しかも1箇所は印紙を貼って郵送で取り寄せなくてはいけない。
いいいいいまだに・・・・印紙て・・・・・。
1箇所はネットで申請して電子マネーで手数料を支払いできるところがあって
なんて便利だ!と思ったのも束の間、書類は結局郵送・・・・。
ダウンロードという便利な機能じゃダメなのでしょうか??
ネットショッピングならワンクリックで翌日配送してくれる時代に、
書類全部揃えるのにどんだけ日数かかるの!
しかもワタクシ、取り寄せる書類を間違えて
再度申請中でございます・・。アホかよ(T_T)
こんな感じで3月から4月のめちゃめちゃ忙しい時期なのに、
作成しなきゃいけない書類が立て続けに現れ、
なんというか・・
公(おおやけ)は時代に追いついてないということがよくわかって非常に勉強になりました(笑)
フリーランスのメリットは、世の中が実体験としてよくわかることなんですよね。
AIが人の仕事を奪う、とかとか騒ぐ人もいますが、
ぶっちゃけ、この書類仕事がなくなるだけでも、人は心に余裕ができて優しくなれるんじゃないかと思います。
役所の人たち本当に大変そうだもの・・。
しかも窓口には理不尽なクレーマー、
数時間にも及ぶクレーム電話。病まない方がおかしいです(知人談)
マイナンバーカードもまだ機能が中途半端なので使いづらいですが、
いずれこういった雑務が軽減されるなら
本当にありがたいカードになると思います。
もうほんとにね・・言いたいです。
たすけてドラえも〜〜〜ん!!(T_T)
]]>
ゲーム音楽は初なんでしょうか。マリオが文化的と認識されたんですね〜。
でも『イマジン』のような名曲がまだ収録されてなかったのは意外だったので調べてみたら、
色々と選定基準があるのですね。
音楽だけじゃなくて演説やインタビューなども登録されてるらしく、すごく興味深い!
中でも目を引いたのはラジオドラマ『宇宙戦争』。
地球に火星人が侵略しにくるというSFですが、そのストーリーよりも、
当時の人たちはラジオを聞いてパニックを起こしたという都市伝説(後から作られたデマ)の方が有名ですよね(爆笑)
よほど迫力があったのでしょうか。
こういうのもあるんですね。
機会があったら全部聞いてみたいのですが、まとめたサントラってないんでしょうか。
1つずつ探してしらみつぶしに聴くしかないのかしら(^^;;)
想像してごらん『IMAGIN(イマジン)』の世界(2018.02.10)
人類の行く末を決める宇宙会議<その1〜5>(2021.3〜4)
]]>
今まで欲しいなんて思わなかったのに、
家電はなるべく増やさないようにしていたのに、
突然思い立って空気清浄機を購入しました。
ついでに、壊れたまま使っていた掃除機も買い替えました。
しばらくして、花粉の季節が到来。
心底思いました。
買っといてよかった〜!
なんと
今年は去年の12倍の花粉飛散量だそう。
花粉だけなら何とか耐えられるのですが
今は黄砂も飛んでいるので咳が止まらず、腹筋が鍛えられています。(T▽T)
この恐ろしい季節、
私も子供たちも悩まされていますが、
空気清浄機と新しい掃除機がなかったらどうなっていたやら。
知らず知らずのうちに予言していたかも!?
でもちょっと待って…
『花粉の多さを予言して空気清浄機を買った』のか
それとも
『空気清浄機を買ったから、花粉が多くなった』のか
どっちなんでしょう??
]]>中世のヨーロッパでの出来事。
ある若い町娘の話です。
彼女は、裕福で美しいある男性に憧れていました。
身分違いはわかっているし、恋というほどの感情でもなく、ただ時折姿を見るだけで満足していました。
しかし突然、彼は姿を消しました。
町の噂では、財産がなくなり家屋敷もすべて人手に渡ってしまい、
おそらく自ら命を絶ったのではないか、と。
娘は胸が張り裂けんばかりで、彼の心情を憂いました。
そして、彼を助けたいと強く思いました。
しかし当然ながら彼と出会うことはありませんでしたし、
自分にできることなど何もないことはわかっていました。
・・
時代は変わり、
娘は別の場所で生まれ変わりました。
そこは自然豊かな場所でした。
男性の生まれ変わりもいました。
寡黙な男で人々との交流もなく、一人で魚を獲っていました。
前世の記憶はもちろんありません。
ですが、なぜか娘はその男を助けたいと思っていました。
男に話しかけて魚を買ったり、育てた野菜と交換したりしました。
しかし男はほとんど話すこともなく、目を合わせることもなく、
心を開くことはありませんでした。
・・
そしてまた、別の場所で生まれ変わりました。
そしてまたその男と出会いました。
前世の記憶はもちろんありません。
ですが娘はまだ男を助けたいと思っていました。
しかし男は今でも心に傷を負っているため、娘がどのように手を尽くしても
やはり心を閉ざしており、信用することもありません。
そればかりか、人を信じない男の言動で起こる様々なトラブルに
娘もどんどん巻き込まれていきました。
そしてついに娘は男にひどく傷つけられ、
哀しみを抱えて生きることになりました。
・・
男の抱える傷は男のものであって、娘のものではありません。
助けたいという強い心が逆に男を縛り、苦しめていたのかもしれないのです。
娘に必要なのは、
自分のために生きること
ただそれだけだったのです。
そして、男と娘には2つの共通の課題がありました。
一つは信じること。
(男は人を信じること)
(娘は男がいずれ自ら克服することを信じること)
もう一つは許すこと。
(男は昔の友の罪を許し、自分を許すこと)
(娘は自分のために生きることを許すこと)
男と娘がいずれ対等な立場で出会う、または出会う必要がなくなるには
次の時代が必要かもしれません。
]]>
信じていた友人に裏切られ、
親から譲り受けた全財産を騙し取られてしまいました。
彼は美しく、裕福で、何不自由ない生活をしていました。
だからこそ世間の狡猾さに疎く、まさか自分がそんな目に遭うとは夢にも思っていなかったのです。
彼の精神的ショックは計り知れません。
その後すぐ、彼は行方知れずになりました。
・・
時代は変わり、
彼は別の場所で生まれ変わりました。
しかし裏切られた傷は癒えることなく、
必要最低限しか人と交流せず、
一生寡黙で暮らしました。
・・
そしてまた、別の場所で生まれ変わりました。
前世で人との交流を避けていたため
やはり傷は癒えていません。
人を信じることができないので
そのような状況ばかりが彼を襲いました。
本当に親切な人との交流も何度もありましたが
やはり信じることができないため
自ら信じることができない状況に追い込んだり、
些細なことでいきなり関係を断ち切ったりしていました。
・・
裏切ったのは、はるか昔の一人の友人。
地球上すべての人が彼を裏切ったわけではないのです。
彼に必要なのは、
人を信じること
ただそれだけです。
それができれば彼はやっと過去から解放され、癒やされるのです。
]]>
今日はゴミの日。
山盛りになったゴミ袋にはカラスよけのネットがかかっているのですが、
スキマから器用に中身を引っ張り出しています。
私は生き物は等しく好きだし、カラスももちろん好きなのですが
さすがにゴミを散らかすのは困ります。
やったことないですが、カラスに意識を合わせてみることにしました。
※ここから私の妄想劇場が始まりますので苦手な方は読まないでね(笑)
私「なにも人間が捨てたものをつつかなくても、もっと美味しいものがあるでしょう?」
カラス「面白いからやってる」
よく見ると、すでに果物の皮など食べられそうなものが出ているにもかかわらず
まだ突き回しています。
私「いやいや、汚されると困るんだけど」
カラス「人間も同じだろう」
そこではた!と気づきました。
その時ゴミ収集車が来て、カラスは飛んでいき、清掃員さんが散らかったゴミを集めて持って行ってくれました(感謝)。
*
これはどういうことかと言いますと。
ゴミとは、すでに不要になったもの、言うなれば過去の遺物です。
本来ならそのまま回収されて燃やされてなくなるものです。
ところが、
部外者が「面白いから」とつつきまわして、汚しまくり、周りを不愉快にさせる。
たしかに・・・まさに人間がやってることと同じです・・(T_T;;)
そういえば、数年前に同じ感覚になったことがありました。
すでに終わったこと、すでに解決した、解決策が見つかったことに対して、
なんでかまだまだ騒ぎ足りない人が多いんだなあと感じたのです。
その後しばらくしてコロナウィルスの流行となりました。
捨てたゴミ袋を開けて良いのは本人だけ。
あれ?ちゃんと分別してたかな?いるものを間違って捨ててなかったかな?と
確認したらきちんと口をしばって迷惑かけないようにするのがマナーです。
(事件の捜査とか必要な場合を除きます。)
なーんてことを想像しながら
洗濯物を干し終えたのでした。
(おまけ)
スズメやミツバチは、ザ・集合意識、って感じがするのでまだいいんですけど、
カラスは賢すぎるというか「個」って感じなので
おいそれと意識を合わせちゃいけない気もします。
だってー!知らない誰かがいきなりぐいぐい来たら誰だってイヤでしょう!
私だってイヤだわ!
今回はゴミ散らかしてあまりに目に余ったので。
と、私もいろいろ考えてるのです(笑)
]]>
子供にもいろんなタイプがあるのでひとくくりには言えませんが、
人の世話を焼いて周りの注意をそらしてるのかもしれません。
自分を後回しに、っていい話に聞こえる場合もありますが、
本当に自然にお世話ができる子は、まず自分のことをやってから、余裕があれば周りを手伝ったりしています。
とはいえ、そんな感じでも子供のやることなのでほほえましくもあり。
「もう〜○○ちゃん、ありがたいけどまず自分のことをやりなよ〜」
って笑いながら言えますけどね。
*
でも、大人の場合はちょっと厄介な気もします。
だいぶ前の話なのでもう時効だよね、と書いちゃいますが(笑)
Aちゃんが数人でBちゃんの家に遊びに行きました。
ところがその家、なんだか悪臭がしていて
Bちゃんは自分のことをしています。
(やってないことがあってお父さんに怒られた?)
仕方ないのでBちゃんを除いて遊び始めたのですが、全然盛り上がらなかったそうです。(でしょうね^^;;)
で、お母さんはその時、家族を置いて海外旅行に行っていたそうです。
「Bちゃんに闇がある理由がわかった気がする・・」
Aちゃんはポツリとそんなことを言いました。
私はこの話を聞いてちょっとショックでした。
Bちゃんのお母さんとは面識はありませんが、
個人カウンセラーのような仕事をしているらしく、うまくいってるようでした。
人にアドバイスしたり、導いたり、色々していても、
自分の足元、自分の家族に対しては気づかないものなんですね・・。
人のお世話をすることで周りの注意をそらして安心してしまうのかもしれません。
怖いですよね。
私も気をつけよう、と心底思った出来事でした。
あ、私はお世話好きじゃないから大丈夫か(笑)
※Aちゃんの名誉のために書いておきますが、
人の悪口や噂話をするような子ではありません。
Aちゃん自身もおそらくショックで、私に話したのだと思います。
朝起きたら・・なんだか壁がすっきりしています。
なんと、時計が消えていたのです!
え!?ついに時間が消えた!?
と、思ったら、息子が段ボールの影になっていた時計を見つけてくれました。
留め具が折れて時計が下に落っこちただけでした。
いくつになっても相変わらず厨二病な私です(笑)
留め具を付け替えながらふと、
そっかー、まだ地球の物理法則は稼働してるんだなあ。
などと考えていました。
古くなれば壊れるし、
壊れれば支えていたものも重力の法則に従って落っこちるし、
時計がなくなれば時間の概念もあいまいになるし。
時間の概念があいまいになれば・・
体内時計がしっかりしてる人がみんなを導いていくのかもしれませんね。
いずれにしても、何が起きても『パニくるな!』なんですよね〜(笑)
因果の逆転!?なぜ人類は悪魔を恐れるようになったのか(2022.01.26)
]]>
なんで、そんなふうに嫌なことを言うんだろう?
なんでそんな態度をされるんだろう?
私のどこが悪いんだろう、どうすれば、”私は”人を不愉快にさせずに生きられるんだろう?
ずっとそんなことを思っていましたが、
ある日突然、
あれ!??私ってもしかして嫉妬されてるの????
と気づいてしまったことがありました。
いやもちろん嫉妬心はわかってますし、私にだってあります。
でもまさかまさか、私のような負け犬に、良いとこなんか何もない者に、嫉妬する人なんているわけがないと思っていました。
(この自己肯定感の低さも相当やばいと今でこそ思いますが(笑))
この時の私は、ずっと上の人、年齢が上だったり立場が上だったりする人が、
自分より下の人に嫉妬するわけがないと思っていたので
この気づきは衝撃でした。
そして、
そうか私が出過ぎてるから悪いんだ。おとなしくしなきゃだめなんだ、
と思っていました。
それから年月が経ち、
さらに気づいてしまいました。
嫉妬する人は(自分だけでは生きることもままならないはずの)赤ちゃんにすら嫉妬するんだ!
嫉妬される方に問題があるわけじゃなくて、
嫉妬する側の問題なんだ!
わざわざ気付くまでもない当たり前のことなんでしょうが、
私がこれに気づいたのは実は数年前なので
本当に私って世間知らずというかおバカなのです(;▽;)
そういえば昔、何かあるとすぐ「それは嫉妬!」と騒ぐ人がいて、
その人は私よりずっと物事を知ってる人だったので
「そういうもんか・・大変だなあ・・」と思っていたのですが、
単に本人が嫉妬深いから
そういう捉え方をしていただけなんだな、
って今となってはわかります(^^;;)
ひどい嫉妬は相手をひきづり下ろそうとまでしますよね・・。
意味わからん、なんでこんなもんあるの??マジでいらないんですけども!
とはいえ、小さな子供も然り、ワンちゃんネコちゃんにもある生存本能のようなものでしょうし、
才能があろうが成功しようが関係なく嫉妬心は湧くようだし、
なくすことはイキモノである限り難しいんでしょうね。
自らの嫉妬心に気づいたら、
せめて、
健全なライバル心に変換していこう
と思う、節分であります。
]]>
どうあがいても人間。
いくらすごい人に見えてても所詮は人間。
いくらすごい人を目指しても所詮は人間。
地球という惑星で生まれた時点で人間という枠から逃れることはできない。
中身がどんなに尊い人のようであっても
人間のDNAを持って生まれているのだからやっぱり人間。
彼だけは違う!
私だけは違う!
と叫んでみても、それは人間の声帯から発せられた声。
人間は人間を全うして生きていくのみ。
人間は人間としての幸福を生きていくのみ。
どうあがいても人間なのだから。
]]>
サプライズが起こったので記録しておきます。
2日前についうっかり『kindle Unlimited』(Amazon電子書籍のサブスク)に登録してしまいまして、
(だって2ヶ月で99円のキャンペーンやってたんだもの、仕方ないじゃないか^^;;)
気になってた本を読みまくりました。
そんな中、古い漫画が目にとまりました。昭和の少女漫画です。
知らない作者ですがなんとなく気になって読み始めたところ、
文学的で情緒的なストーリーに釘付けになり、
その作者さんの作品を次から次へと読んでいきました。
そして今日、空いた時間にまたその作者さんの作品を読んでいました。
ある短編集の中の話を読み進めていくと・・
胸がドキドキしてきました。
この話、見たことある!
なんと、幼い頃に読んでとても印象に残り、その後の自分の考え方に影響を与えた作品だったのです。
友達の家か病院の待合で一度読んだだけなので、題名も作者名も雑誌名も覚えていません。
それでも大人になった今でも時々思い出すような、そんな作品でした。
まさかまさか、40年以上たってまた読むことができるとは!
作者名も初めて知りました。
詰まってたものが抜けて風通しが良くなった感じがします(笑)
それにしても、今読んでも全然色褪せていない・・。
当時こんなにも高度で静かな情感あふれる話を女子小中学生たちが読んでいたのかと思うと・・
男子が幼く見えるはずだな〜、と思いました(※一般論です^^;)
=============
突然、宇宙旅行のメンバーに選ばれました。
どんな旅行なのかわかりませんが、どうやらお試しというか実験的な意味も含まれているようです。
誰かに言うと全力で「やめときなさい!」と言われるだろうから子供たち以外には黙って来ちゃった。
もし旅行中トラブルがあって帰れなくなったら・・でもまあ、それならそれでしょーがないか〜。
なんて、のんきに考えながら手続きのゲートの列に並んでいました。
「うちの子は車椅子ですが、大丈夫なんでしょうか」
後ろに並んでた女性が心配そうに話しかけてきました。
ゲートの中を見るとほかの車椅子の子が楽しそうにしていたので、
「大丈夫みたいですよ」と答えました。
ゲートをくぐるといろんな人がいました。
少し知的障害がある子とそのお母さんもいました。
幼い女の子と目が合いました。顔見知りの子です。
声をかけると、ぎゅっと抱きついてきました。
両親は選ばれなかったようで、ひとりで不安だったのでしょう。
私がいて安心したようです。
大きな宇宙船に乗って、いよいよ出発です。
宇宙服のようなものを着せられるのかと思ったら、
そのままの服装で大丈夫でした。
私は離陸時に忙しく料理を作っていました。
しばらくたってから窓の外を見たら地球からだんだん離れていくのが見えて
あまりの絶景に感動しました。
「宇宙にも緑もあれば生き物もいますよ」
誰かの声、というか”記憶”というか、そんな言葉が脳内に流れてきました。
スマホはつながりませんが写真を撮ることはできたので
船内をうろうろしながら窓の外を撮影しました。
惑星が直列しているのが見えました。
街のようなものが浮かび、鳥も飛んでいるのも見えました。
とても楽しく過ごしました。
=============
なにぶん夢の中ですのでふんわりしてるのですが、
面白い概念があるので分析してみました。
<船に乗る人>
子供とその母親が多く、男性も若い人ばかりです。
私(アラフィフ)が最年長くらいかも。
<船内の部屋>
3人部屋です。
誰がどの部屋と決められてるわけではなく自由でした。
私は料理作りで忙しく、部屋を選んでいなかったのでいつの間にか若い男性2人と同室になってました。
どうやら男女別や障害の有無などなど、個人的な差は意味を持たないようです。
<宇宙空間>
太陽系ではなさそうです。
私たちの常識の範囲内での宇宙ではなく、もしかしたら次元の違う宇宙かもしれません。
<街>
星ではない気がします。
宇宙ステーションみたいな人工物に乗ってるわけでもなく・・
空間に浮いてるような??エネルギー体??
固定観念を捨てて考えてみれば、必ずしも星(地面)に接地してなくても良いのですよね。
<鳥>
海(深海?)の生き物に近い見た目でした。
羽毛はないみたいで全体にツルッとしていて翼にそって光っていました。
とりあえず鳥がいれば私は生きられる、大丈夫だと思ってるので(笑)
鳥を見つけた時は嬉しかったです。
*
なお、宇宙旅行のメンバーは何を基準に選ばれたのか。
私の勝手な推測でしかないのですが、
争わない人
じゃないかなあ?と感じました。
(こう書くと、なんだか私がいい人みたいですが、実際そうですが(笑)
私はあくまで”傍観者”の立場だと思います。)
料理は、船内にいる人たちのためではなく、地球に残してきた娘のお弁当です。
作ってどうやって届けるの??と思いましたが、
大丈夫らしいです。お弁当のエネルギーが届くみたいです。
(書いてて、本当になんだそれすごすぎって思いますww)
そんな感じで、興味深い夢を見ました、ってお話でした♪
「起こってしまったことは仕方がない」
クリストファー・ノーラン監督の映画『TENET』の印象的なセリフで、
ただいまなんとなくプチブームになっています(笑)
これは主人公(名も無き男)の「時間を逆行すれば過去を変えられるのか」という質問に
謎の相棒ニールが答えた言葉で、このセリフはその後も何度か出てきます。
*
「起こってしまったことは仕方がない」
ってすごくいい言葉だと思います。
もし過去を変えることで未来が変わるなら
過去に後悔がある人はみんな必死で過去に戻ろうとしますよね。
でも過去を変えたら未来が変わるのは
『バック・トゥ・ザ・フューチャー(PART1)』のようなフィクションだからできることで、
実際には不可能、っていうのが今の一般的な考えらしいです。
(祖父のパラドックス、親殺しのパラドックス)
*
タイムトラベルをしなくても、現在〜未来を変えることで過去が変わります。
正確にいえば、過去に対する解釈が変わるのです。
「過去は辛かったけど、あれがあったから前向きにがんばれた。今は幸せだ」
「過去が辛かったから、投げやりになった。今は過去より不幸だ」
どう行動するかは過去ではなく、今。
過去は「経験値」でしかないはずですよね。
私も経験してますんであえて言わせてただきますが、
過去にばかり意識が行っている状態は、なんらかのエラーだと思います。
つらいですよね〜、過去に囚われるって。
*
と、映画とはまったく関係ない話に着地しました(笑)
『TENET』は設定はバリバリのSFでかなり難解です。
私も劇場で観て、最近アマプラでまた観たのですがやっぱり難しくてよくわからん。
でも面白い!特に後半は怒涛の伏線回収で、目が離せなくなります。
ノーラン監督の描く女性はみんな上品で好きだわ。
興味ある方はぜひ!
]]>
知人のAさん(仮名・女性)がグチっていました。
すごく簡単に言ってしませば、10代の子供が自分の言うことを聞いてくれない、という話です。
よくある光景ですが、その内容にあんまり共感できなくて、
どちらかといえばAさんよりも子供ちゃんが気の毒になってしまって(笑)
部外者が生意気ではありますが「もっと子供ちゃんを信用してあげたほうがいいよ」と話しました。
Aさんは、共感してもらえる(自分が正しいと認めてもらえる)と思っていただろうし、
Aさんの別の友人間では通じた話だったかもしれません。
私がそのように意見した(子供に味方した)ことに驚いたようです。
ですが、その場にいた子育て経験ありの複数の知人たちも私に同意見でした。
Aさんは「そういう考え方もあるのね」
そう言いました。
私がアドバイスしたことで、Aさんの子供ちゃんは少し楽になるかな、
よかったなあ、と
・・・残念ながら、私にはそう思えませんでした。
なぜなら、Aさんは一時が万事
「その場では聞いてるふうだけど実のところ聞いてないし、自分の考えを曲げない人」だからです( ;∀;)
以前も同じようなグチを言っていて、やっぱりなんも変わってないのです。
決して悪い人ではないし、これがAさんの個性だと私は思っていますが
・・まあ・・振り回されてしまう人は大変よね・・(^^;;)
”聞く耳を持つ”と言うことは相手を尊重するということ。
相手が子供だろうが自分より立場が下だろうが関係ないです。
それにしても、私も偉くなったものだなあ(笑)
]]>
そんな話を昔聞いたことがあります。
これを言葉通りに受け取るか、概念や比喩として受け取るかはそれぞれだと思いますが、
とてもステキな表現ですよね。
優しい星と繋がれば優しい気持ちで満たされ、
争いの星と繋がれば常に争いを好む
孤独が好きな人は静かで干渉のない星
いつも心に『敵』を作らないと生きていけない人は
敵に囲まれているのが普通の星
(この星に繋がってる人すごく多いなあ( ;∀;)
人が想像できることはもう存在してるとも言われます。
存在してるから想像できる。
あらゆるヒラメキはどこかに漂うエネルギーのダウンロードに過ぎない。
(無から生み出せるほど人類は進化してない、ってことかもです)
だから、こんなふうになるといいなーって想像するのは、
どこかにその星があるってことなんですね。
メルヘンチックで夢見がちかもしれませんが(笑)
どこかにその未来はある
そう考えるとちょっとうれしくなります。
]]>
だから人をうらやんだり、逆に優越感に浸るということもなく、
自分のペースで成長していました。
周りがその子と他の子を比較して劣等感を持たせようとしても
子供は太陽のような明るい心を持っており、
常に心は守られていました。
しかしその子も成長し、
いろんな世界を知り経験を積むにつれ、
「周りと比較する心」を知ることになりました。
明るかったその子の心はかげり、
自分の心(光)が見えなくなり、他人からの評価(黒雲)におびえるばかり。
いつしかその黒雲が自分であると錯覚するように・・・・
なんてことは起きませんでした。
なぜなら、
”それ”を経験した人がすぐそばにいたからです。
おわり♪
(この話は事実を混ぜたフィクションです)
*
他人と自分を比較するのは人間が高度な知能を持ってるが故の
やむを得ないデフォルト(初期設定)だと思います。
「他人と比較しちゃダメ!」なんてよく言われますが、少なくとも今の世の中ではムリじゃないでしょうか。
「自分らしく」となりふり構わず人に迷惑をかけまくるようなおかしな方向へいくだけな気もします。
(○○しちゃダメ、というエネルギーの反作用、反発系ですね)
仙人じゃないんだから(笑)
いーじゃん、他人と比べて落ち込めば。優越感に浸れば。人間だもの。
自分の心は太陽だってことを時々でいいから思い出して。
それでいいんじゃないかな〜^^
読んだことのない本を人にすすめてはいけない
朝いきなり湧いた言葉です。
少し考察してみます。
作者が著名だとか、著名な人が絶賛してたとか、レビューがいいとか、本屋で平積みだったってだけで
人にすすめてしまう。
何が書かれてるのかわからないのに、それを読んで自分がどう感じるのかわからないのに、
普通に考えればおかしな話。
「なんで???読んでないのになんでわかるの???」と思うのは当然ですよね。
本は他人の体験や考え方を吸収できるものすごっくありがたい装置です。
どんなエンタメ作品であっても著者の考え方やものの見方がわかる、
つまり、他人の人生経験を追体験できるため、
教養書だけが学びになるわけではありません。
だから、そこを見ずして人に勧めるのは相手に対しても著者に対しても無責任としか言えないわけです。
あったりまえですよね。太陽が東から昇るくらいあたり前です。
私はそんなことしてないかな?
うん、読んだ本しか薦めてない、よし!
ってまあ、朝からそんなことを考えてたわけですが、さらに深掘りしていきます。
*
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶと言われます。
賢者は「本」を読むだけで全身で吸収し成長できるのでしょうが、
私も含めて凡人はただ頭で理解するだけなのが悲しいところ。
体験なき学びは、必ずのちに浅かったと思い知ることになります。
つまり、「本」を「体験」に置き換えて考えた方が良さそうです。
体験してないことを人にすすめてはいけない
めっちゃめちゃ見たことないですか?
どっかで聞いた話を広げる無自覚な行為。
私もうっかりやっちゃってるかもしれないからほんと怖い。
体験してもいないのに、これいいよ!こうした方がいいよ!って人にすすめるのは
マウンティングに他ならない、
いや・・実際にはマウンティングにもなってないので、
単に痛い人・・かも。
ネット界隈で「ちゃんと本人が体験した話しか載せません」ってなったら
サーバーの負荷がものすごーく減るだろうな(笑)
※実際に一番多いのは、親が子供にすすめる行為でしょうね。
私も気をつけよう・・。
]]>
ずいぶん賑やかだなあ・・声はするけど姿が見えない。
多分ひばりだと思います。
「あんまり考えすぎないようにね」
そんなことを言われたので、少々ムッとして、
「考えるのが好きなんだからしょうがないじゃん!」
(※精神修行オタクのため)
と返したら、
「じゃあしょうがないね」
と。
そして
「人の話も聞くようにね」
と言われてしまいました。
そして言うだけ言ってどこかに飛んでったのか、声がしなくなりました。
え?人の話聞いてない?どういうこと?
聞いてるつもりだけど!逆に人の影響受けまくって困るんだけど!
でも冷静に考えたら・・
うん、やっぱり私は人の話を聞いてないわ。
自分都合の解釈がまだまだ多いんだわ。
という結論になりました(-▽-;;)
鳥に指摘されるとはなあ・・。
★人から指摘されたことで少しでもムッとしたら
それは『図星』であり、『見つめ直す箇所』であるサイン。
そう覚えておくと大変便利です。
(ま、相手にもよるけどね(笑))
]]>前回の記事はこちら↓
いま、『上書きチャンス』が来てる!(2022.04.17)
今年の立春ごろから始まったこのキャンペーン、どうやら継続中のようです。
こそばゆい言い方をすれば、
『(天からの)慈悲』って感じます。きゃーこそばゆい(笑)
ヒト、コト、モノ、に限らず、考え方の上書きもあります。
いずれにしても、共通してるのは『楽になる』ってことですね。
上書きでモヤモヤが増えるのなら、単に荷物が増えてるだけだと思います。
私の場合、
「人から何か聞かれても全部に答えなくていい」というあったりまえのことが上書きされ、大変楽になりました。
ほとんどは答えを知りたいわけじゃなくて会話したいだけなんですよね。
今思えばほんっとバカ真面目、バカ真面目通り越してバカ、一周回って真面目バカだな〜〜って思うコトもあります(笑)
さあ、このキャンペーン中にガンガン上書きして行こう!
レッツ上書きチャンス!
↓こちらも良かったら読んでね♪
]]>結局コツコツやってきた人が一番強いと思います。
本当にコツコツやってる人は、なぜかそう見えないです。
がんばってるように見えない。
コツコツを隠したり、楽してるように振る舞ってるわけでもなく
なぜか落ち着いていて余裕すら見えるんですよね。
だから地味で、目立たない。
世界中に優秀な人的資産がいっぱい埋もれてるんだろうな〜(^_^)
]]>皆既月食の日の朝、ベランダにまたしてもミツバチが寄ってきました。
やっぱり部屋に入りたそうにしていますが網戸をしっかり閉めたので入れません。
何度も網戸にぶつかっています。
ミツバチは自衛の時しか刺すことはないので、
気が済むまでほっとけばいっか〜、と洗濯物を干し続けていました。
すると今度は、「ねえ!ねえ!」とばかりに私にまとわりついてきます。
あれ?デジャヴ?以前もこんなことがあった気が・・
調べてみましたら5年前に記事にしてました。
(ブログやってるとこういう時便利♪再度公開しました)
そういえばこの後、
仕事でもプライベートでも自分がいかに『善良なおバカさん』であったかを思い知ることになり、
『アミ小さな宇宙人』愛の度数と善良なおバカさん(2017.12.18)
その後、思い知った後でもまだ全然抜けてないことを思い知ったりとか
いろいろあったなあ。
(注・変な宗教をやってたわけではありません^^;;あくまで精神成長のオタク話。)
今度は何を思い知るんだろうか(^^;;)
*
ところでこのミツバチちゃん、先日寄ってきたミツバチと同じ娘さんでしょうか?
(働き蜂はすべてメスです)
動きは同じだったけど、
ミツバチは「個」というよりは「集合意識」なのでどうでしょうね。
また来てくれないかなあ〜・・
なんて、ちょっと期待してしまいますが(笑)これも一期一会です。
すべて重なると月は真っ暗ではなく赤銅色になり、
夜空にでっかい十円玉かイクラが浮いてるよう(笑)
昔は月蝕や日蝕は不吉なものとして忌み嫌われていたようですが、
今は科学などの発達で蝕が起こる仕組みが知れ渡り、
こういったイレギュラーを楽しめるようになったのですね。
日本中で空を見上げ、同じ月を見て楽しむ様子は
夏の花火を楽しむのに似てほっこりします(^^)
*
さてこの月食、前回は1580年だったそうで、
まさに戦国時代、織田信長がブイブイ言わせてた頃ですね。
この時代に皆既月食を見ていた人たちは何を思っていたのでしょうか。
”名をあげる”ために命をかけて戦った戦国武将たち。
今現在も名を残す人たちは多くいます。
(”名を利用されてる”とも言えるけども^^;;)
その陰には、名を残すこともなく、
ましてや埋葬すらされなかった人たちも数多くいます。
自ら戦地に向かったならばまだしも、命令だったから、時代の流れだったから、
戦士でもなんでもなくただの農民が、ただただ巻き込まれただけで、などなど・・
彼らは死に際にこう思いました。
「平和な時代に生まれたかった」
*
どんなことにも光と影があります。
月に映る地球の影。
あの時、
涙すら出ない乾いた目で見た月蝕は、
今は笑顔で見られる時代になったのだと
喜んでいる人が一人でも多くいるといいなあー、と思います。
※戦国の話、いつか書きたかったので月蝕に乗っかって書いちゃいました。
重すぎるのでもう書かないよー(^_^;;)
交差点の真ん中で車を停めるわけにもいかず、
とりあえず右折してすぐそこの駐車場でUターンすることにしました。
すると、すぐ前の車も同じようにUターンするのです。
車を安全なところに停め、その女性の元へ駆け寄って行きました。
それだけではありません。
なんと他の方も、少なくとも3人は助けに駆け寄っていました。
私は、これ以上人数増えてもややこしくなるだけだなと
安心してその場を離れることができました。
当たり前ですが、
みんな見ず知らずの人たちでしょう。
それでもピンチの時は自然に助け合えるんですよね。
こういう光景を見ると、
私は本当に優しい世界に住んでるんだなあと感じます。
コロナ禍の時も、私が一番に感じたのは「人の優しさ」です。
もちろんそれなりに大変でしたし今も大変なこともあります。
それを差し引いても、やっぱり人は優しいなと思います。
こんなふうに優しい世界なら、
人との繋がりを無理に結ぼうとしなくても
自然なカタチで助けたり助けられたりできるんじゃないかな、と思います。
きっとそれが人間の本能だと思います^^
]]>
今朝、ベランダから見える電線で一羽の鳥が歌っていました。
(画像はイメージです)
普通の光景で珍しくもないのですが、
ふと
「他の場所で歌ってもいいんだけど、私はここで歌っているよ」
と言われた(というか妄想した)ことを思い出して
(ブログにも書いたので調べたら4年前でした。今は非公開です。)
ひっっっさびさに鳥に意識を合わせてみました。
「一期一会を大切に」
と言われました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。
茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。
Wikipediaより引用(https://ja.wikipedia.org/wiki/一期一会)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「袖振り合うも多生(他生)の縁」
という美しいことわざもありますね。
”ふと出会う人に対しても誠実に接することが大切”
一般的な解釈ではそうだと思うのですが
鳥さんからはさらに奥深い意味を感じました。
”ふと出会う人”に執着してはいけない。
人との出会いはあくまで一瞬の縁、一生に一度の縁であって、
無理に継続させようとすれば思い悩む。
なるほど!
一期一会にそんな意味もあったとは!
(あくまで私の解釈です)
鳥たちは、その時その時に出会った鳥と行動し、離れ、また別の鳥と出会う。
絶対にあの子と一緒にいたい!離れない!離したくない!なんてことは思わず、
本当に一期一会を体現して生きているようです。
う〜〜ん・・・今のSNS時代とは真逆だ(^^;;)
本来はブログに書くつもりはなかったのですが
昨日見た光景とリンクしてる!と気づいたので書くことにしました。
というわけで、つづく〜♪
]]>
最近の空はすこーーん!と突き抜けたように清々しく美しいなあ〜
なんて思いながらベランダで洗濯物を干していましたら、
1匹のミツバチが飛んできました。
そして、部屋の中に入ろうとするのです。
「入っちゃダメだよ!」と
あわてて網戸を閉めようとしたのですが、細い隙間をぬって入ってしまいました。
「ダメって言ったじゃん!」
すると、ミツバチは素直に外に出ました。
でもやっぱり入りたいのでしょう、ベランダをうろうろしています。
私は窓の前で壁になっていたのですが、
ミツバチは私の身体にくっつくくらいに飛んでいます。
「入ってもお花なんかないよ」
と言うと、諦めたのかやっとどこかに行きました。
うちのベランダには花はないし(私がお世話できないから^^;;)
なんであんなにミツバチがよってきたのかナゾです。
玄関にレモングラスのアロマを置いているのでその香りかな?
でも今は秋のお花がそこかしこにあるし、そっち行った方が絶対効率が良いと思うんですけどね(笑)
それにしても、ミツバチに言葉が通じたのがなんだかうれしかったです。
これから冬に向けて蜜探しに大忙しだよね。
お互いにがんばろうね^^
]]>
10円より11円の方が価値があるし、
1番違いでビンゴが当たったり外れたり、受験番号なら将来も変わってくる。
2位より1位の方がすごい。
2本や4本足の椅子より3本足のほうが安定する。
これらの大半は本人の努力だったり、計画性だったり、
物理的な問題だったり、もちろん運もあるだろうし、
数字そのものというよりは、その数から派生する影響のほうが重要ですよね。
ラッキーナンバー、
日本の忌数という考え方(つーかダジャレ)、
むかーしむかしにたった1回トラブルがあった数字、
数字そのものに価値をつけるのは
一体どういうことなんでしょう。
どこの誰がどのような目的で決めたんだろう?
って考えると、不思議じゃないですか?
広めることで集合意識の多数決になる。その数字に確実に意味を持たせたいんでしょうか?
意味を持たせればコントロールしやすいですしね。
ある数字の羅列を見た時、「ゴーサインだわ!」と疑うことなく行動し、
その後おかしなことになっていくなら
その数字を見せたのは、操作したのは一体誰なんでしょう。
(良いサインだと信じて疑わないから悪くなってることに気づけない)
*
何か事を起こそうとする時、迷ってる時、立て続けに同じ数字を見ることは私もよくあります。
本当のラッキーナンバーは、
自分に勇気を与える『だけ』のものだと思います。
自分だけのものだし、自分しか知らないもの。
マイナンバーと同じくらい厳重に管理しといたほうが良いと思います。
エンタメとして楽しむならともかく、
誰が作ったのかわからない、どんな根拠があるのかもわからない数字に
人生を左右されるのって・・
コントロールされてるほうが人生楽!ってことなら仕方ないですが、
せっかくこの世に生まれたのにもったいない気もします。
そうはいってもね!
ゾロ目ってなんかうれしくなっちゃうのは確か(笑)
私ってやっぱり俗物ですな〜(笑)
誰でも参加できる!『違和感システム』(2014.01.16)
]]>
鴨長明氏の草庵(方丈庵)の復元を見たいと思い続けてたので自分の誕生日までに行っておきたかったのです。
京都…何十年ぶりだろう?小学校の修学旅行と、20代の頃に1度行ったのみ。
めっちゃ方向音痴なのでしっかり調べて行ったにも関わらずやっぱり(?)迷う迷う。
「Aのバス乗り場」って覚えてたのにAがないじゃん!何かの陰謀か!?と焦ってたら単に駅の出口を間違えてました。
これだから都会って_:(´ཀ`」 ∠):
方丈庵があるのは『河合神社』ですが、バスで行くと『下鴨神社』の近くに到着するので先にこちらを参拝させていただくことに。
するとなんと!期間限定で普段は入れない国宝の本殿や重要文化財の大炊殿などなど拝観できるとのこと。
もちろん拝観料がいりますが、こんな機会を逃がす手はありません。すごくラッキーでした。
みたらし池に浸すと文字が浮かび上げる水みくじ。
大吉でした。
そして縄文時代から続くと言われる糺の森を通り
いよいよ河合神社へ。
こじんまりとしてかわいらしい神社ですね^ ^
絵馬がキュート♡
境内で飲める美人水。かりんとハチミツの飲み物です。
美味しかった♪
で、草庵は…??どこ??
なんとなんと!移転準備中で見られなかったのです!
今回の旅の一番の目的が…とショックではありましたが、見られんものは仕方ない。
するとなんと!
さっき支払った拝観チケットで、『資料館 秀穂舎』で鴨長明氏の貴重な資料(こちらも期間限定)を見ることができました!
鴨長明氏直筆?と言われてる?書もありました。
なんというか…やっぱり胸が締め付けられる想いがしました。
世界ではなんやかんやありますが、少なくとも今、私の周りは平和ですし、流行り病も道端で人が朽ちるようなことはありません。
今の時代に生まれたことに感謝しかありません。
その後は電車で宇治まで行ってプラプラ歩き、平等院を見てきました。修学旅行らしき子どもたちがいたのでちゃっかり混じって説明を聞いていました(笑)
そして帰りの電車でこの文章を書いています。
遠いようで全然遠くなかった京都。
いろいろあって楽しかった。
仕事がんばってまた行こう(^^)
こちらの記事もどうぞ♪
冬至と方丈記と人生論と引きこもりと晩年(2016.12.23)
鴨長明「方丈記」から読み取る「孤独」(2016.12.25)
世界はこんなにシンプルだったのか<その6>否定するなかれ(2017.10.13)
]]>
すやすや寝てたのにいきなりのテロ行為。
ほんっと迷惑千万!
誰にって?
地球上で一番人をコロす生物、
そう・・
蚊
です!
もう秋だよ!なんで今頃!
夏が暑すぎたから、ちょっと涼しくなった今頃飛び回ってるようです。
耳元のぷ〜んという音で目が覚めちゃうんじゃー!!
どんな生き物でも地球にとって何かの役割で存在しているけど、
蚊はどんな役割なんだろう。
人類の間引きか?
安眠妨害してストレスを与えるのか?
蚊が絶滅したら地球の生命の連鎖はどう影響するのか?
蚊だって精一杯生きてるのだし、
私は生き物はほとんどなんでも好きですが、
睡眠中の蚊だけは許せん( ;∀;)
せめて静かに飛んでほしい!
]]>
時々”過去の自分”に会うことがあります。
オカルトな話ではないですよ〜!
人との出会いの中、相手の言動に自分を見ることがあるのです。
過去の私の考え方と同じ考えを持っていたり、
過去に私が言ったことと同じことを言ったり、
過去の私の行動と同じことをしていたり、
そんなことに気づくと、
『あっ!過去の自分だ・・』と不思議な気持ちになります。
歳を重ねれば多かれ少なかれ、そのようなことはみんなありますよね。
そんなふうに過去の自分と対峙すると、
あの時私はこんなふうに見えていたのかとか、
あの時まわりの人はこんな気持ちだったのかとか、
・・こっ恥ずかしくなることもよくあります(T▽T)
子供やずっと年下の相手なら、
「うんうん、やってんな〜、イキってんな〜」と暖かい気持ちで見られますが、
自分と同世代か年上の場合は・・
失礼を承知で書きますが、
「うわあ・・私もこうなってたかもしれないんだ・・」と
結構きついです(^^;;;;)
(注:その人がそれで幸せなら良いんです!私個人の道としては違う、ってだけの話ですので誤解しないでくださいね。)
自分の過去って、若さゆえ〜なんですかね?思い出すと、きゃー(;▽;)ってなることも多いですが、
逆に、過去の自分に助けられてることもそれ以上に多いです。
]]>ラーメン職人が高い位置から腕を振り下ろして
ザッ!ザッ!ってやるやつ、かっこいい!やってみたい!
<直感の場合>
→キッチンの床にビニールシートを敷く
→ラーメン屋に行って湯切りさせてほしいとお願いする
→ラーメン屋でバイトする
などなどいろんな方法があると思いますが、
<衝動の場合>
→いきなり自宅のキッチンで、床に向かって湯切りをする
これ一択。
当然ながら床がびっしゃびしゃ。
集合住宅なら下の階の人にも迷惑かけるかもしれませんよね。
あーやっちまった!と反省しながらの後片付けも経験として良いですが、
もし、後片付けを本人じゃなく別の人がやる、
しかもそれすら気づかずまた同じことを繰り返すなら
あまりに”幼い”としか言いようがない( ;∀;)
いや、年齢的に子供ならまだ可愛いというか、許されるでしょうけどね、
大人になってもそんな感じだったらアレですよね・・。
衝動で行動して、やらかして、知らないうちに誰かが片付けてくれてる
なんてこと、私も結構あったと思う。
いやいまだにあるのかもなあ。
って思うと・・いやあ〜〜はじゅかちい( ;∀;)
かしこい人は、常に大胆かつ冷静。
私もなりたいものです。
6)『直感』はその人の人間性の上にあることを忘れてはならない。(2019.07.14)
]]>そう決めていたのですが、他の仕事で手一杯で、納期ギリギリになってしまった仕事があり、
やむを得ず徹夜で仕上げることにしました。
久しぶりに徹夜して思ったのですが、『他にやることがない』のでめっちゃ集中できます。
疲れてはいますが、だんだん徹夜ハイの状態になってきて作業が進む…どころか、いやそこまでやらんでもいいでしょ、はよ寝ろよ!と一人ツッコミしながら細部まで丁寧に仕上げちゃったりして(笑)
なんとか完成して、データ保存して…やっと寝られる…
ところが、最後の最後、信じられないミスをやらかしてしまいました。
顔面蒼白。
今までの苦労はいったい…
パソコンに少し詳しい方なら、なんで⚪︎⚪︎しなかったの?なんで△△しておかなかったの?と言われるでしょうが、
私だって30年くらい前からMacで仕事してるはずでして…
逆になんで????
っておもいましたよ(T_T)
幸いクライアントに渡すデータは無事だったし、問題ないくらいにまでなんとか復旧させたのですが、
初心者がやらかすようなミスをしたことにガクゼンとしました。
徹夜って怖いですね。
もうやりません( ̄д ̄;)
]]>ひょんなとこから映画『イミテーション・ゲーム』を観てみました。
かなり興行成績がよく、映画賞も多数受賞し、観客の評判もすこぶる良い、
暗号を解読する天才数学者数奇な運命のノンフィクション映画、
主演はベネディクト・カンバーバッチ
という情報のみで息子と一緒にアマプラで観てみたわけですが・・
見終わった後、すごく切なく悲しくなり、
もう2日たってるわけですがいまだにひきづってる感じです。
<ネタバレ込みのざっくりとしたあらすじ>ーーー
第二次世界大戦。
イギリスはナチス・ドイツ軍の暗号機『エニグマ』の解読のため
天才数学者アラン・チューリングを含むチームを極秘裏に結成する。
チューリングは天才だが変人で人間関係に問題を起こしがち。
他のメンバーとの軋轢もありつつなんやかんやあって
ついに暗号解読機を完成させる。
ドイツ軍の動き、これからどこで攻撃をするのかがわかるようになった。
多くのイギリス人を救うことができる!
しかしそのことは軍の最高機密となった。
ドイツ軍に暗号を解読したことがバレたら、今までの苦労が水の泡となるからだ。
よって、助ける人と、見殺しにする人を選別することになった。
戦争が終わり、暗号解読チームは解散、資料も全て燃やされた。
チームと暗号解読機は戦争終結に多大な偉業を成し遂げたが、
このミッションは「なかったこと」としてチームはそれぞれの仕事に戻っていった。
その後チューリングは、同性愛の罪で服役かホルモン治療かを迫られ、後者を選んだ。
心身の衰えが激しく、天才的な頭脳は過去のものとなった。
そして享年41歳、自らの命を絶った。
チューリングが作った暗号解読機は、現在のコンピューターの原型である。
ーーー
これを観たのが偶然(という名の必然)エリザベス女王が亡くなられたというニュースが流れた日でしたので、
余計に”来る”ものがありました。
戦争というのはつくづく哀しいです。
助けられたかもしれない命すら、大義のために見捨てられる。
強者生存、適者生存。
助けられた人と生きられなかった人の差はなんだったのでしょうか。
同性愛で投獄というのも、1万歩譲って時代ですから仕方ないかもしれませんが、
人を襲ったわけでもないのにホルモン治療で抑え込む・・って人道的に恐ろしいです。
ちなみにこのことに関しては2009年に政府が公式に謝罪してるそうです。
チューリングは、映画ではそこまで描かれていないですが
(やっぱりなというか)今でいうアスペルガー症候群だったようです。
普通の人ではあんな機械は作れなかったと思います。
以下は私の勝手な想像です。
最後は短ら命を絶ったことになってますが、本当にそうなんでしょうか?
私は事故説を推したいです。そうであってほしいです。
陰謀論者は「口封じだ!」と言われるでしょうが…。
いずれにしても会ったこともない私が故人をいろいろ詮索するのは不謹慎ですよね。ごめんなさい。
昨日は911、アメリカ同時多発テロ事件の日でした。
本当にこういうのって、一体いつ終わるんでしょうか。
世界は少しずつ確実に良くなってる。
いつかすべて終わるのはわかってますが、1日も早く終わってほしいです。
(おまけ)
息子、「聞いたことがあると思った」とチューリング・テストのことを教えてくれました。学校で習ったらしいです。
チューリングの概念はAIにも影響を与えたんですね。本当にすごい人ですね。
(再掲)映画『ライフ・イズ・ビューティフル』子供を巻き込まない強さ(2020.12.26)
]]>
そんな中、コロナ禍以降に私もダブルワーク(今はトリプルワークかな?)になりました。
最初はスケジュール管理など、あれやこれやで頭が飛びそうでしたが、
慣れてきたらルーティン化して楽になりました。
週一カレーや煮込み系に決めてしまえば献立も考えなくて済むし、
服装も決めてしまえば悩まなくて済みます(ジョブズ化ですね)。
そんな中、ダブルワークはメリットがたくさんあることに気づきました。
まず当然ながらお金の面ですね。
私のようなフリーランスは仕事がなくなると当然収入が減ります。
そんな中、他にも収入源があるのは経済的にはもちろんですが、
精神的にかなり楽です。
それから仕事で何かやらかして落ち込んだ場合。
(「嫌なことがあって」って書こうとしたら大概は自分のやらかしで落ち込んでるだけじゃんと気づきました^^;;)
別の仕事に集中することで、頭が切り替わります。
くよくよ悩む時間がない。
これも精神的にかなり楽です。
他には、やっぱり出会う人の数が増えたことですね。
いろんな人と触れ合うことで、いろんな考えを吸収できます。
日常系精神修行オタクの私としては視野が広がるというのはなによりのご馳走です(笑)
子供たちが自立するまでがんばらなきゃです^^
うちと同じ立場のひとり親のみなさま。無理せず元気でいきましょうね!
進路を決めるために息子とともに学校の見学会に行きました。
先生に引率されて校内を見学し、階段を登り降りしておりましたら…
気分が悪くなり動けなくなってしまいました。
実はその時、結構な病み上がりで、気力はあるけど体力が回復してない状態だったのです。
予定外で保健室まで見学させていただくことになりました(笑…って笑い事じゃないけど)
先生方にご迷惑をおかけしたし、息子にも心配かけてしまいました。
それまでは、がんばればなんとかなる!と思い込もうとしてたと思います。
なんともならないんだ…
はからずも自分の限界を思い知ることになり、それ以上のことは単なる無茶無謀なだけで、ほめられることではないと(やっと)わかりました。
今思えば、学校見学なんて後日にお願いすれば受け付けてくれたでしょうに。
まだまだ頭が硬かったんですね〜(^^;)
(息子は小中と支援学級のため、学校選びでいろいろ迷ってたってこともありましたが)
まあ、その後も体力的にも精神的にも自分の限界を知る出来事が多々ありまして、
私ってどんだけ無茶してたのか…どんだけほめられたいのか…どんだけビビリなのか…ってなことを少しずつ知ることになりました(^^;)
自分を知ること、自分の限界を知ること、って本当に大切です。
もしかしたら人生においてそれを知ることが目的とも言えるかもしれません。
限界以上のことは人に任せたり委ねたりすることができるからです。
限界突破にチャレンジ!も若いうちはどんどんやったほうがいいし、やるべきだと思います。
でも、ある程度の歳になったら自分という枠の中で精一杯生きるのも悪くないと思う今日この頃です。
]]>お盆も仕事してます。仕事があるのは本当にありがたいです。
まだまだがんばるぞー(^^)/
今年は各地で3年ぶりにお祭りが復活してるようです。
私も近場で祭りグルメを楽しんできました♪
お祭りのない夏は、なんだか気の抜けたサイダーみたいですよね。
行く行かないは関係なく、
やっぱりお祭りはあったほうがいいです。
お祭りは、決して一人ではできないからです。
]]>お久しぶりです〜、なんてたわいのない会話をしていました。
その時、ボソッと言われました。
「ライバル心があるけど・・」
。。え?
びっくりしました。
ライバル??え??私が???????
私のようなものに??
世間的には負け組と言われてもおかしくないのに????(←卑屈でゴメン)
ライバル心を持ってくれるのこの人?????
えー!!光栄です!!
この年代の男性が女性の同業者に素直にそのようなことを言うなんて、
なかなかないのでは・・
(人間として)ほれてまうやろーーーーー!!
*
私の同業には、
同業者批判や悪口を言ってひきづり下ろそうとするような人はいないです。
たまたまいい人ばっかりなのかもしれませんが、
少なくとも私は会ったことがありません。
(グチっぽいことはあるけどね(笑))
同業者批判ばっかでめちゃめちゃ怖い業界もありますよね(^^;;)
批判するよりも自分の腕を磨いたほうが良いってことが身に染みてわかってるからかもしれないし、
そもそも他人のことはあんまり気にしないのかも(笑)
平和な業界でよかったなあ(^^)
]]>ずっとフシギに思ってることがありまして。
いつから
『電子レンジが必ずどのご家庭にもある前提』になったのだろう(^^;;)
料理のレシピや食材の話をしていると、
必ずと言っていいほど電子レンジが登場するんですよね。
食材以外でも、何かをあっためたり殺菌したりにも出てきます。
「うちは電子レンジないんですよね〜」なんて言うと
話のコシを折るようで申し訳ない気持ちになるので(笑)
ほとんどはそのまま受け流しているのですが・・。
もしや環境に配慮したり添加物などを避ける自然派の方々は使わないのでは!?
・・なんてこともなく、やっぱり誰でも電子レンジは使うみたい。
私も昔は普通に使ってましたのですっごく便利なのは知ってます。
多機能な商品もたくさんあるので時短でおいしい料理が作れるのは嬉しいです。
いま電子レンジがないのは環境や電磁波うんぬんとかそういうことではなく
場所も電源もお手入れもいらないのでない方が楽だからです♪
(そもそも、うちは仕事の関係で電子機器が多数あるので、えらそうに言える立場にないんです^^;;)
そんな凝った料理は作らない(作れない)し。
蒸し器とガスコンロがあればどうにでもなるのでそんなに不自由はないです。
なんでみんなそんなに電子レンジ大好きなの?
『電子レンジなくても大丈夫教』を立ち上げようかしら。
マイノリティ(社会的少数派)って結局、
理解してもらうには立ち上がるしかないんだわ!
なんつってね〜
ちなみにうちには炊飯器も湯沸かしポットもないし、子供部屋もない。
古いマンションなのでお風呂は追い焚き機能が付いてない!(さすがに冬は不便・・)
ほとんどのご家庭にあるようなものがないかもしれん。
母子家庭で家族としてもマイノリティだしな〜。
不満はないけども、いちいち「ありません」って言うのは正直めんどくさいな〜・・
って思っちゃったりなんかして。
忙しいときって、さらに忙しくなるようなことをしてしまいます。
人によってはあるあるだと思いますが、
なぜかやらなきゃいけないことがある時に限って掃除を始めちゃうとかですね。
もうこれ以上!かかえこまないぞー!!と思っていても、
なぜかそういう時に限って、何かがどこからともなく寄ってきて、
結局忙しくなるハメに。
でもまあ、昔みたいに『忙殺』におちいるようなことは無くなりました。
なんやかんやでうまく回るんですよね。
『断る』『やめる』ってことを覚えたからだと思います。
実際に断ったりやめたりするかどうかではなく、そういう選択もあるってことを知ったからです。
今月末はあまりに忙しすぎて、やることを1個減らしました。
すごく悩んだのですが、やめちゃえばどーってことないものです。
ところが、その空いた時間に別の予定がするっと入り込みました・・
それはやめた予定よりもやりたいことだったので
うーん、世の中ってほんとによくできてるな〜〜って感心しちゃいました。
って、忙しいのにこうしてたわいないブログを書いてる私はやっぱりアホだな(笑)
]]>「そういえばカーズ3(クロスロード)を観てない」と息子。
子供たちが小さい頃はカーズのDVDをすり切れるほど何度も観たな〜。
なんて思い出しながら、『ディズニー+』でクロスロードを観ることにしました。
まったく予備知識なく観たのですが、
『世代交代』の話なんですね。
シリーズ化するとあるあるな展開ではありますが(笑)
ちょうど自分自身も世代交代について思うことがいろいろあったため、
深く考えさせられました。
一方、テレビでは参院選の当確速報で盛り上がっています。
誰が選ばれても協力しあってより良い方向へ進んでいかれるでしょうが、
いい感じに『世代交代』されてると良いなと思います。
そしてカーズクロスロードの日本語版エンディングは奥田民生さんの『エンジン』。
うわー!カンペキ!かっこいいなああああ!
久しぶりに他の奥田さんの曲を聴きたくなりました。
さすらいとか、イージューライダーとか・・
そういえば、なんかすごい曲があった気がする・・
そうだ!『マシマロ』!
世間がどのようになろうとも、どのように変わろうとも、
気にしないし関係ない
自分には自分の道があるんですよね!^^
小学生たちと、泳げるとか泳げないとか話していたのですが、
・・なんだか微妙にかみ合わない気がしました。
そしてしばらくして
あ!そういうことか!とやっと気づきました。
今の3年生は
初めてプールに入るのですね!
コロナ禍の影響で2年間プールの授業が中止だったのです。
水遊び大好きな子はうれしいでしょうね。
一方、苦手な子にはまた苦難が始まるのですよね〜〜^^;;
私もプールが苦手なクチだったので、
(というよりもスポーツ全部苦手なんですが・・)
複雑な気持ちになるのもわかる・・。
水が苦手な子、泳げない子にも、優しい世界であってくれと願うばかりです(笑)
]]>娘「名前が『よ』で始まるアーティストって大体天才だよね〜、
YOASOBIとかヨルシカとか米津玄師とか」
私「なるほど〜〜!
・・・ん?他に誰がいる?」
息子「吉幾三」
娘「呼び込み君」
]]>
「○○さん、いつも素敵な作品を作られてますね〜。」
何気なく知人にそんな声をかけました。
すると、ムッとした顔で
「当たり前だろ」
と返されました。
その瞬間に気づいたのです。
「あっ!そりゃそうだ!失礼しましたっ!」
相手は私より少し年上の男性です。
そして、その作品に長く関わってきてる人です。
この人がそこに費やした時間とか、努力とか、喜怒哀楽とかがあって今があるわけで、
でもそこは決して見えない部分です。
門外漢の私ごときにほめられても、全然うれしくないのは当たり前です。
言い方が無意識に上から目線になっちゃってたんだな〜・・
反省をしながら、後日そのことを息子に話しました。
「オレもそう思ってた。自分がほめても逆に失礼なんじゃないかって。」
その時ちょうど、どんどんほめたほうがいい!という
流行りの自己啓発本の要約動画に違和感を持っていたらしいのです。
*
確かに、私も「この人なんで『すべてわかってるふう』なんだろ?」
と疑問に思う発言を聞いたり見たりすることはあります。
ほめてるつもりでも、無自覚のマウンティングがあるのかもしれないです。
そう考えると、『ほめる』っていうのは目上から目下に対して行われる行為かもしれません。
子どもだろうが年下だろうが女だろうが男だろうが、
対等な関係だと思っているのなら、『ほめる』というよりは『讃える(たたえる)』でしょうか。
いずれにしても、言葉選びでニュアンスは変わってしまいますから、
会話って難しいですね(><;)
子どもたちの世界って、つくづく大人の縮図ですね。
世渡りを覚える前のむき出しの個性、という感じがして面白いです。
*
ほめられるとうれしいですよね。それは当然です。
大体は1回ほめられると満足します。
ですが中には
『ずっとほめられ続けたいタイプ』がいるようです。
(1回目)
「せんせー、これ描いたよ」
「わあ〜上手だねえ」
(2回目)
「せんせー、これどう思う?(同じ絵)」
「上手だねー」
(3回目)
「せんせー、これどう?これどう?(同じ絵)」
「上手だよー」
(別の日)
「せんせー、こないだ描いたやつどうだった?(同じ絵)」
「上手だったねー」
ってな感じで、
定期的にほめられたい、みたいな。
ここまであからさまではなくても、大人でもこういうタイプはいますよね。
子どもならかわいいものですが、
大人の場合は、周りからめんどくさいとウザがられちゃう場合もあるかもしれませんね。
私も一時期ここに陥ってたっぽいので
(言葉には出さないですが、心の中でね(;▽;))
気持ちはよくわかります。
ほめられてないとすごく不安だったようです。
単純に愛情不足からくる承認欲求ってことが多いのでしょうが、
いろんな人を見てるとどうもそれだけじゃない気もします。
なんというか・・刺激依存というか、
ほめられ中毒みたいな?
SNS依存って結局そういうことかも?
なーんて、そんな単純な話でもないのかもしれないですが。
一生、根気強くほめてくれる人がそばにいるのなら人生は安泰かも。
ま、いろいろありますよね〜(笑)
]]>はるか昔の昭和。中学生時代の話です。
クラスの女子たちと「自分をかわいいと思う?」という話題になりました。
誰も自分をかわいいと思う子はいませんでした。
もちろん私もです。
その時、クラスメイトがそばを通りかかった子に同じ質問をしました。
その子は「思う」と答えました。
その回答に、みんなドン引き。
え・・?ぶっちゃけそんなイケてるわけでもないのに、
自分で自分をかわいいと思うの・・??
という空気でした。
(失礼!あくまで空気の話で、その子が実際どうなのかは別です^^;)
でもその子はこう言ったのです。
「だって自分で自分をかわいいと思わないと、他に誰が思うの?」
当時、人と違う言動をとるとあっという間にいじめにつながる時代です。
私も『この子変わってるなあ・・』って思っていました。
*
そして月日は流れて大人になった私。
自分がいかに自己肯定感が低いか思い知ることとなりました。
なんやかんやあって、やっと自分を取り戻した時、
ふと、中学時代を思い出しました。
「自分で自分をかわいいと思わないと、他に誰が思うの?」
彼女が言った言葉は正しかった!
やっと理解できたのです。
それに、よく考えたら自分で自分をかわいいと思えないのは
自分の親やご先祖に対して、自分のDNAに対して失礼です(笑)
自分の子供が自分の容姿に不満ばかり持ってたら、親として切ないですよね。
実際に客観的に自分の容姿がどうであるのかは、関係ありません。
あくまで自分がどうあるか、です。
自分で自分をほめることができるのってやっぱり最強です。
誰にも迷惑かけないしね♪
【うつヌケ体験】いかにしてニヒリズムを乗り切ったか(2017〜)
]]>