時には勢いでものを壊し、
怒られてもその声は届かず、
捕まえられても腕を振りほどき、
一瞬落ち着いても、
また同じことを繰り返す。
そういう子はまあまあ見慣れてるのですが(笑)
立て続けに、多動がかなり激しい子とそのお母さんとお話しすることがありました。
話を聞いていて、お母さんたちはかなり疲れてるな〜と感じました。(当たり前なんだけど)
申し訳ないという気持ちと子供を守りたいという気持ちがせめぎ合い、
表向きは気丈に振る舞わざるを得ないようです。
わかるわかるぞ〜〜!!
「いや〜、うちの息子も発達障害で幼いときは大変でしたよ〜!」
なんて笑いながら話すと、お母さんの固かった表情がパッとほぐれます。
その瞬間、少しだけど「理解者1」になれてよかったな、と思うのです。
こちらの記事もぜひ読んでね↓
※発達障害とは、社会的に困難がある場合に使われる言葉です。
本人が特性を活かして生活できている場合は障害ではありません。
障害=特性を活かせていない
と考えた方がわかりやすいと思います。
そうなると本人だけの問題ではないということがよくわかります。
]]>「失った時にそのありがたみに気づく」
なんてことを言われますが、
「失った時にそれがいかにゴミだったかに気づく」
って事もあるんですよね。
両方大事なんだろうな、と思います。
]]>
前回のお話はこちら↓
昨日掃除していたら、部屋の隅に金属のようなものを見つけました。
何かのネジが飛んだのかな?と思いながら拾ってみると・・
なんと!金の鳩です!
実は・・再び金の鳩をゲットして
財布につけていたのですが・・
半年ほどでまた消えてしまったのです。
闇の組織が平和を阻止しようと平和の使者である私から金の鳩を奪ったのです。
・・なんて厨二病的なことではなくて
単に扱いが雑なだけです(泣)
鳩が消えて1年以上経ってるし、
当然ながらその部屋は何度も掃除してるのですが、
(ちなみにこの部屋には家具を置いてません。押入れはありますが、押入れから離れたすみっこで見つけました。)
なんでそこに金の鳩がいたのかまったくもって謎です。
まるでタイムスリップしたような感覚になりました。
なにはともあれ、再び私のもとに戻ってきてくれたことが本当に嬉しくて、
財布じゃないところに付け直しました(笑)
さて・・
・・ここで疑問が湧きました。
この鳩は、1羽目でしょうか、2羽目でしょうか。
どちらなのでしょう????
12月8日はジョン・レノンの命日であり、
ブッダが悟りを開いた(成道)日だそうです。
ちなみにブッダは何を悟ったのか。
一説によれば、『縁起』と言われ、
私たちが常日頃から使ってる意味ではなく以下のような意味だそうです。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「すべてのものには必ず原因があり、その原因をなくすことができれば、その原因から生じてきたものもなくなる」
つまり、「人生の苦しみには必ず原因があり、その原因をなくせば、苦しみがなくなる」ということになる。
苦しみの原因は欲望であり、より根源的には無知であるとされる。欲望があるから、無知であるから、われわれは苦しみ、欲望をなくし、無知でなくなれば、われわれは苦しむことはないということである。
(『ブッダ 今を生きる言葉』より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーー
私もまさにそうだったのですが、いつも悩みを抱えてる人は
なぜか常に悩みの原因にわざわざ寄っていって、わざわざ抱え込んでしまうのですよね。
その原因は大概が「世間体」であったり「承認欲求」だったりで、
ひとくくりにしてしまえば『欲望』であり、
その欲望を発生させているものは、
そんなものはなくても良い、ということを知らないという無知、ってことかもしれませんね。
ジョン・レノンをなぜ殺害したのかは犯人しか知らないことですが、
欲望と無知が原因のひとつなのかもしれません。
怖いですよね。
せめて、自分が無知であることを自覚していようと思う私です(笑)
人類の行く末を決める宇宙会議<その1〜5>(2021.3〜4)
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8年前の夢の中で、ある年齢で肺の病気になると言われました。
その時の記事はこちらです↓
病気になることは決定事項だったのですが、
私が冷静になったことで「生き方を間違えると病気になる」と書き換えることができた、
というのが前回のあらすじ(笑)です。
そしてその運命の年が先月で終了しました。
新型コロナもインフルエンザも流行ってるしで
いつ感染してもおかしくない年でした。
感染して肺がやられて、
宮沢賢治氏のようにそのままあの世というルートもあったかもしれません。
誰とも会わずに引きこもって生活したおかげです。
・・なんてことはなくて、多くのいろんな人と会ったし、小学生たちとも接していました。
今思えば、変な話ですが「絶対に病気にならない」という根拠のない自信もありました。
”生き方を間違えなければいい”だけだからです。
とはいえ、無事に誕生日を迎えることができた日は嬉しかったです。
やりとげたーーー!!って心の中でガッツポーズでした。
今後、もし咳が出るような病気になったとしても
それは『ただの病気』なのでなんてことない。
不可避で意味のある病気と、ただの病気は雲泥の差です。
それくらい、この1年間病気にならなかったのは
自分の中では本当に重要なことだったと思います。
*
そんなこんなで運命の1年でしたが、
少し引っかかるところもあります。
8月に息子、そして娘が順番に高熱を出したのです。
ぐったりして食欲もなく、寝たきりの生活。
息子は熱が下がってからも咳が続きました。
うちは賃貸で部屋が少なく完全隔離は無理です。
それでも私には感染しなかったので、
母の気力って我ながらすごいな、と思っていましたが、
息子と娘が私の肩代わりをしてくれたのかも・・とも思うのです。
そんなバカな!と思われるかもしれませんが、
もし私がなるはずだった肺の病気が先祖からのカルマだとしたら、
子孫である子供たちが引き受けるのはありえることです。
2人分の強烈な病気を私が一人で受け止めていたら、と考えるとゾッとします。
子供たちには申し訳ないですが、体力のある者が対処するしかなかったのかもしれません。
*
それから、ブログにも書きました先月の肩の炎症。
レントゲンを撮ってもらいましたが、
肩の部分になにやら炎症の影ができていました。
今思えば、あの影が10数センチ右に移動して肺にきていたら・・と思うと・・・
怖い怖い!ヤバかったです!
*
夢で言われた肺の病気は回避できましたが、もしかしたらかなりギリギリだったのかもしれません。
今は五体満足で3食とおやつを食べられることにただただ感謝です。
ちなみに、正しい生き方ってどういうことなのか、ですが
あくまで私の考えですが、
ただただ自分を生きること
これに尽きると思います。
ギリギリだったってことは、やっぱり私はまだまだ自分を生ききれててないのかもしれません。
まあ、全部私の都合の良い妄想かもしれないですけどね(笑)
いずれにしても健康第一です!
知られた途端に周りの目は不公平なものとなる。
よって、世界を公平に捉えることが不可能となる。
(哲学者=『知を愛する者』)
今朝、急に湧いた言葉です。
先日久しぶりに『崇高なるソクラテスの死』を読み返して
感情が高ぶったからかもしれません。
そういえば ある文化人が
「まわりから先生と呼ばれるようになったら
考え方がだんだん変わっていってしまう(無意識に増長する)」
というようなことを言っていて、
人の上に立ったり、指導する立場になった時は
本当に気をつけなくてはいけないなあ・・と思いました。
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あまりに痛くて腕を動かすことができません。
何をするにも全力疾走したように疲れるし、
クッションで支えないと横になることもできず、
眠ることもできず、腕をかばいながらなので全身筋肉痛。
翌日はさらに悪くなり頭がボーッとして身体中がだるい。
たいがいの病気は寝れば治る(持論)のですが寝られないからつらい。
さすがにこれは病院に行かないとヤバいやつだとわかっていても、
腕が激痛になったのは金曜の夜で、土、日、さらに祝、
火曜の開院まで持つだろうか…と痛さに耐えていました。
日常系精神修行オタクにとって、
病気というのはいろんな情報をくれるのですが、
この時に強く感じたのは『地球の重力』でした。
「重力が痛い」のです。
肩というパーツはうでという細長い棒を強くて緻密な仕組みで支えてるのだと
しみじみ実感し、
過去何度か経験した外科手術の後の身体の重さも思い出しました。
地球の重力は、人間が健やかに生きるためには少し重すぎるんじゃないかなあ。
肩こりや腰痛で苦しむのは人類が農耕を始めてから進化の加速に身体が追いついてないからと『サピエンス全史』で読んだなあ。
なんてことを呑気に考えてたら
すこしずつ回復してきて、火曜の朝には痛みがだいぶおさまっていました。
(でも一応整形外科行きました)
痛みが取れた時、もう何をやっても嬉しくて。
腕が動く!腕が上がる!着替えをしても疲れない!寝返りがうてる!
しあわせーーーーー!!
って感じで、ヨロコビが半端ない。自分でもびっくりするほどの多幸感。
残念ながら私はまだ、何か困った状況と比較しないと多幸感は得られないのだと実感もしました(笑)
幸いにも仕事が落ち着いていたのと、
連休中だったので息子と娘がほとんどの家事をやってくれて
ゆっくり休むことができて助かりました。
ちなみに、何が原因で肩痛になったのか。
思い当たることがありすぎて、全部ひっくるめて言うと、
加齢と運動不足
だなと。
地球の重力に負けないように鍛錬しないとです(苦笑)
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固まってるように見えても実は振動しています。
そしてこの振動が波動となって互いに影響を与え合い、エネルギーを伝え合っています。
つまり、
自分が見たもの触れたものは、どんなものであっても少なからず影響を受けます。
波動の高いものを食べましょうとか、波動の高い人に会いましょうとか言われるのは
そういうことですね。
大まかには賛成できますが、『波動は高ければ高いほど良い』という単純な考えは
ちょっと注意が必要なんじゃないかな?と思います。
昔、こんなことを教えてもらいました。
「振動数が高くなると、その人の本性が出る」
***
振動数や周波数の単位は『Hz(ヘルツ)』。
『音』で考えるとわかりやすいですが、数字が小さいほど低音、大きいほど高音、となります。
ここで、洗面器に水を入れて揺らす実験をしてみましょう。
粗い振動を起こせば大波になりますが、
細かい振動を起こせば水面が揺れる程度です。
さらに細かい振動では、水面は何も起きてないように見えます。
1秒間に4万回の高速振動!
超音波洗浄機は、水に細かーーーい振動を起こす機械です。
微細な振動で、ミクロレベルの汚れを浮かしてきれいにすることができるのですね。
つまりですよ、
大きい波は派手なので、なんか大変なことが起こってる!と気づけますが、
細かすぎる波は、何が起こってるか気づけません。
なのに、汚れは落ちやすくなるんですよね。
想像してみて欲しいのですが、
大波にあおられて自分のまわりが汚れだらけになったら
波が汚れを落としてくれたんだ!と思えますよね。
でも、波も何も感じない中で、急に自分の周りが汚れだらけになったらどう反応するでしょう?
おそらくは恐怖におちいるか、自分以外の誰かが汚れをまき散らしてるんだ!と思うんじゃないでしょうか。
(自分の汚れと他人の汚れを見極めるのも重要ですが・・。)
汚れた水は排水する(自分から出た汚れだと認識して捨てる)
汚れた水はそのままにする(誰かが捨てるのを待つ。文句言う。気づかない。見て見ぬふり。)
そこでどう反応するかも自分の本性です。
***
そしてまた、冒頭に戻りますが、
人を含め、全てのものには固有の振動数があります。
人それぞれ振動数が違います。
ってことは、
生まれながらに極端に振動数の高い人は大変なんじゃないかなあと・・
周りが理解できる人たちでないと本人も周りもいろいろあるでしょうね・・。
***
「振動数が高くなると、その人の本性が出る」
うっかり振動数の高いものに触れて、世渡りのために演じていた仮面のメッキ(汚れ)がはがれたあとは、
自分の本性と向き合うしかなくなります。
それって本当に大変だし、勇気がいりますよね。
ですが、
汚れが出たことに気づくことができるようになれば、それだけでもかなり成功じゃないかな?と思います。
(再掲)人は皆、自分の人生を自分で決めている?(2021.07.22)
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あるSNS投稿で、楽しいはずの文章の最後にぴえんマークがついているのをみて、
疑問に思いました。
私「なんでぴえんなんだろ。これおかしくない?打ち間違えたのかな?」
娘「かわいいからつけてるだけだと思うよ。」
私「もっと楽しそうな絵文字があるのに。」
娘「おめめうるうるだから。」
私「だったらおめめうるうるで口元が笑ってるのを使えばいいじゃん。」
娘「機種によって表示されないんじゃないかな。」
私「だったらやっぱり笑ってる絵文字の方がいいじゃん。意味わかんない。」
娘「絵文字に意味なんかない、ただかわいいから使うだけで意味があって使ってない。」
絵文字に意味はない?????
そんな概念、一切思いつかなかったのです。
そういえば、何年か前に知り合いの知り合いを紹介され、
その後その方がメッセージを送って下さったのですが文末が
「今後ともどうぞよろしくお願いします🥺(ぴえんマーク)」
だったのです。
それを読んで、
え!何か失礼なことした?そんな悲しませるようなことをしたのかな??
と、めっちゃ悩みましたし、いまだに悩んでました。
絵文字に意味はない・・・
なんだそうだったのか・・
悩んだ時間を返せですわ。
何事も意味を深く考えるのは私の悪い癖かもしれません。
もっとフィーリングで良いってことですね。
絵文字で新たな悟りを得ました(笑)
ゴーストライターの文化はそろそろ終わりを迎えるのではないかな。
日本でも当然のように存在しているゴーストライター。
ビジネスとしては有名人のネームバリューが必要ですし、読者にもわかりやすく伝えるためには技術を持ったライターさんが必要なのはわかります。
ですが、実際に文章を作った人の名前を隠し、別人がすべて著作したとするのは、ものすごく単純に言えば 嘘 ですよね。
作品に費やす労力は会社として行ってるからゴーストライターの存在は出版社名に含まれてる、と考えれば間違ってるわけではないです。
(校閲さんとか営業さんとか、関わった人全員の名前を書くのも現実的ではないですし。)
でも、これは労働者社会の思想で、今後おそらく主流となる”すべての人が技術者の社会”では、もう通用しない古い考えの気がします。
とりあえずは、フリーランスで働かれてる人の名前は、誰かの代筆の場合も明記するのが普通になるのではないでしょうか。
もちろん黒子に徹したいライターさんも、ペンネームやクリエイターネームなど何らかの形で記載するようになるかもしれません。
正しい記載は作品にも良い影響があるのではないかと思います。(ウソがなくなるからです)
**
ところで話は変わりますが、今現在ハリウッドが大変なことになっているようです。
脚本家や俳優たちのストライキが続き、あらゆる作品の制作がストップしてしまっているのです。
それぞれの不満が噴出した結果でしょうから何も言えませんが、観客の1人としてはちょっと切ないですね。
理由の1つとしては、AIの存在らしいです。
AIの進化を見れば仕事を奪われるかもしれない焦りはよくわかります。
どんな仕事もそうですよね。私も人ごとではない(^^;)
AIで制作した作品は、文章でも絵画でも音楽でも、AI作と記載するべき。
私もこの意見に賛成します。
人間だからとか、AIだからとか、そういうことではなく
その作品を創ったクリエイターは、嘘偽りなく本人の名前をクレジットするべき
と私は考えるからです。
誰でも参加できる!『違和感システム』(2014.01.16)
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もともとはゲーム用語だそうですが今はビジネス用語として使われることが多いようで、
ざっくり簡単に言ってしまうとこんな意味だそうです。
競い合いながら高め合い全体を広げていく
全員がメリットになる状況を目指す
Win-Winとの違いは、協力ではなく競争、ってことでしょうか。
アスリートたちが磨きあって新記録を目指すようなイメージですね。
(違ってたらご指摘ください)
私は自分のペースを守ることが、精神衛生上一番安定するので競争は苦手なんですが
この考え方は好きです。
<ゼロサム(ゼロ和)>A+B+C+D=元と同じ大きさ
<ノンゼロサム(非ゼロ和)>A+B+C+D=元と異なる大きさ
Aが広がればBCDとも大きくなる
収穫量で考えるとこんな感じですね。
<ゼロサム(ゼロ和)>
土地の面積は変わらないのでAの収穫量が増えれば他が減る。
お隣の土地を奪うなど。
<ノンゼロサム(非ゼロ和)>
Aの収穫量が増えれば他も増える。
土地の面積は変わらなくても土壌改良や収穫方法でお隣と競争するなど。
誰のものでもない農地を開拓して広げるのはノンゼロサムでは?と思うかもしれませんが
地球規模で考えれば、広げるために森林を大規模に焼くなどすれば
ゼロサムまたはマイナスサムになる場合もあると思います。
ノンゼロサム、そんな世の中を目指したいです。
簡単にいかないのも重々承知ですが(笑)
何も奪わずに、生きていけたらいいなあ・・と思います。
今日は夏至。
今日までにどうしてもこの話を書かなくちゃいけない気がして、ギリギリ間に合いました(笑)
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コロナ前の話。
お出かけ中、私好みの飲食店を見つけたので入ってみました。
通りにポツンとある小さな店。地元の人が立ち寄るのでしょう。
まだ新しくてきれいだし、何より店のデザインがカッコ良い。
そして店内には店長の趣味だと思いますが某アーティストの曲が流れていました。
実はその時、一緒にいた連れの一人の機嫌が悪くて、店に入るのも渋々な感じでした。
(普段そういう人ではないのですが色々あってストレスがかなり溜まっていたと思います。)
私は人の感情の影響を受けやすいという超めんどくさい体質なので(苦笑)
もや〜んとしたまま注文したのですが、
店内を眺めているとふわっとしてくるというか・・
店全体が「嬉しい、嬉しい」にあふれているような気がしました。
そして料理を食べていると
私も(連れも)「嬉しい気持ち」になっていました。
帰り際、店長らしき人に話しかけました。
仕事ならいざ知らず、人見知りなのでプライベートでそんなことは普段しないのですが何故かその時は話を聞きたかったのです。
ニッコニコの店長曰く、ずっとキッチンカーで販売をしていて最近お店を構えたそうです。
店長の「好きなもの」がぎゅっと詰まったお店だから
「嬉しい」があふれてるんだなと感じました。
「自分の好きなもの」を表に出すのは本当に大切なんですよね。
「好き」には「好き」が引き寄せられ、
「喜び」があふれれば世界だって平和になるかもしれないです。
少なくとも、連れの機嫌がなおってくれたのは万々歳です(笑)
★このお店は今も変わらず営業してます^^
世界はこんなにシンプルだったのか<その6>否定するなかれ(2017.10.13)
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仕事での打ち合わせ中。
「○○さん、応援してますよ!」
色々と不安にかられているようだったので、少し元気づけるつもりで言ったのですが、
その途端、その人はパッと目の色を変えました。
私としては
「○○さん”も”応援してますよ!」という意味だったのですが、
相手は
「○○さん”だけを”応援してますよ!」と受け取ってしまったと気づきました。
・・しまった・・またやっちゃった・・
今までの経験上、この人そういう人だってわかってたはずなのに・・
それでも私もずいぶん賢くなりましたので
その後はやんわりクールに対応し、仕事も無事に終えました。
*
基本的には私は全員を応援しています。
自分に関わりがあろうがなかろうが関係なく。
(って書くとめっちゃいい人みたいですが
これってつまり、誰も応援してないとも言えるので騙されちゃダメです(笑)。)
ずいぶんズルい考えだと言う人もいるでしょうし、
特定の誰かや何かを応援してる人の方が信用される世の中なのは確かなんですよね〜〜!
今はまだ、
応援の反対側には「相手の負けを希望する」という意味が込められます。
ジャンルによってはこっち(負けろ)の想いのほうが強いかも知れないです。
競争原理の社会で勝敗を避けて生きるのは実にムズカシイ。
理解してもらうこともまだまだムズカシイ。
がんばれ、私(^^)
]]>
ずっと前の話ですが、
なんの気なしにそんなことを言ったら、ある人からこう言われました。
「まず自分が動かないと。パセリさんが声をかけたら協力してくれる人が集まるはずだよ。」
それを聞いて、ものすごく恥ずかしくなりました。
集まるはずだよって言ってくれたことが嬉しくて。
・・・ではなく、
自分の軽々しい発言に対してです。
実際、その人は行動力があり、
周りに声をかけながら協力者を集め、実行にうつせる人です。
今でこそ、当たり前のことを言われただけだってわかりますが
(この”当たり前”ってのが大事なのです!)
”実行”を意識して行動していたにも関わらず、
まだまだ無意識に他力本願だったと思い知らされてしまいました。
*
発言だけならどうとでも言えるし、
責任を取る必要もないかもしれません。
家族が・・とか、時間が・・とか、お金が・・とか、
教育が・・とか、政治が・・とか、世の中が・・とか、
やらない理由を並べればいくらでも出てきますよね〜。
それでも勇気を出して動いた時、
湧き上がるのは関わってくれた人たちに対する深い深い深い感謝なんです。
*
「全部コロナのせいで」
どうにもならない時は、心を守るために何かのせいにすることも本当に大事だと思います。
しかしいよいよコロナ禍の様々な制約が明日から開けます。
この3年をどう過ごしたか、結果が出てくるのでしょうね。
もう言い訳はできない!!
怖くもあり、楽しみでもありですが
すでに私はコロナ禍が懐かしくなっています(笑)
安定なき世界だからこそ、退屈はない。がんばろう(^^)
6年前から世の中は変わった?〜出る杭を打つ人〜(2020.12.25)
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小学生たちに聞いてみました。
「体育は先生がはずしましょうって言うよ。
でも、はずしてすぐに口をおさえるひとも多いよ。」
「マスク生活が長かったからちょっと恥ずかしいかな。
ないと不安に思う人もいるかもね。」
「ボクはずっと前(緩和前)から外してるよ!」
なるほど、人それぞれだよね(笑)
3月からマスクの着用が緩和されたとはいえ
花粉の季節がモロかぶりでやっぱり外せない人も多かったですが、
イベント類が普通に行われるようになり、
5月8日に新型コロナもインフルエンザレベルの5類に移行とのことで
マスクをしていない人も町なかでちょくちょく見かけるようになりました。
約3年前、マスク着用が義務付けられ、いろんな意見もありましたが、
私は「口元でウソをつく人がやりにくくなるだろうなあ・・」なんて思っていました(笑)
マスクをしててもにっこり笑えば赤ちゃんはちゃんと笑い返してくれたし(実験済み)
私自身は人の表情が半分しか見えなかったことで困ったことは一度もなかったですが、
高校生が「マスクした顔しか知らない同級生がたくさんいる」と言っていて、
たしかにそうなるよねー!と納得しました。
しばらくは、マスク外すの外さないので混乱するだろうし、外したら外したでまたいろいろ言う人は言うでしょうが、
あの時は大変だったよねーって
思い出話になる時も来るんだろうなと思います。
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