お騒がせが続くあいちトリエンナーレ2019。
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あいちトリエンナーレについて、アートを愛する私なりの意見(2019.09.27)
あいちトリエンナーレについて、アートを愛する私なりの意見・その2(2019.09.30)
アートを愛する立場として、ちょっとあいトリを弁護しますね。
私はどちらかというと、あいトリそのものよりも、
その周辺、世間がどのように騒ぐのかに注目しているのですが、
騒いでる人たちって、
どのくらいの人があいトリを見にいったのでしょうか。
会場は複数、中には日にち限定のパフォーマンス、舞台、音楽もあります。
ごくごく一部だけしか見てない、過去のトリエンナーレも見てない、そもそもアートに一切興味ない、
ネットの情報だけで騒ぐ・・・。
会ったこともない人を人格否定、組織・公僕に対する怒り・・。
この部分はあいトリが気の毒すぎてなりません。
っていうか、
一番気の毒なのはスタッフさんやボランティアさんですよ(><;;)
アート好きは繊細な人も多いですし、
本当にもう、皆さんお願いします、冷静になってください、です。
本来、脅迫文を送りつけた人が一番の問題だと思うのですが、
なんか・・さらっと流されてますよね。
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現代美術ってわけわからん!という方のためにざっくり説明します。
(答えがあるわけではないので、あくまで私の解釈ですが)
現代美術は実験的な作品が多く、
『見る』の後に『考える』というステップが必要になるものもあります。
自分で考え、作者の意向を汲み、さらに自分で考える。
そうやって様々な視点を取り入れていくのです。
つまりは視野の広さや想像力の深さが試されます。
ここが現代美術の面白いところであり、
興味ない人にとってはうさんくさいというかめんどくさいというか、
なんだよお高くとまりやがってと腹立たしく思うところでもありましょう。
(ボロクソに書いてますが、同意でしょ?^^;;)
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今回の『表現の不自由展』でもそれを期待していたのでしょうが、
『見る』というステップの直後に
『激昂する』人がいるということがよくわかった結果となりました。
そうなるのは当然予測できたことであり、
厳しいことを言えば運営側の視野の狭さと甘さが引き起こした混乱とも言えるかもしれません。
それとも炎上商法で結果を見越してわざと展示させたのか、
何かをぶっ壊す目的だったのか・・
私のような者にはわかるはずもないのですが、
この騒がれ方は常軌を逸しているということだけはよく見えます。
狙ったのだとしたら・・大成功ですけどね^^;;
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あいちトリエンナーレ、今回で4回目で、私もずっと見てきましたが、
確かに回を重ねるごとに『社会への問題提起』が色濃くなっていくのは気になってました。
反戦、反体制は、現代アートには格好のテーマなのでしょう。
しかし、ぶっちゃけこういうのってしょせん人間同士のいざこざで、
今、急務なのは
環境破壊で他の生物たちに迷惑をかけてることだったり、食の安全だったりすると思うのですが、
残念ながらそういったテーマのアートは見つけられず。
(見落としてたらごめんなさい)
今回のトリエンナーレは思想の偏りもそうですが、テーマの偏りも問題じゃないのかなと思いますが・・
どうでしょうね。誰もそういうこと言わないですよね?
経済イケイケの人たちにとっては自然環境に問題はないことになるようなので、
その辺は大人の事情ってやつなんでしょうか(ああっまたキワキワな発言を・・^^;;)
なんかもう・・過去の哀しみや、何かを批判するようなアートは
個人的にはお腹いっぱいです・・。
素晴らしいアートも多数展示されてるのに、
イベント全体が暗く感じられてしまって本当にもったいないです(><;;)
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あいトリ2013年のオノ・ヨーコさんのアート。
『生きる喜び』というテキストが、
点在した会場のいたるところにあり、まるで宝探しのようでした。
ただのテキストなので、生き方そのものがアートのようなオノ・ヨーコさんだから
いいんだろうな〜、と当時はその程度にしか思っていなかったのですが
今となっては、とても素晴らしい作品だったんだ!と理解できます。
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私は3年に一度のあいちトリエンナーレをとても楽しみにしています。
私にとって、アートは活力です。
どうか、今回の騒動を無駄にしないでほしい。
心からワクワクできるあいちトリエンナーレを期待しています!