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10)『善』と『悪』は存在する。

『善』と『悪』は存在する。『善』の名を借りた『悪』に気づける人になることが重要。

 

何を持って善悪の区別をつけるのか。
以下は私の解釈です。

 

『善』=時間を与えること、時間を濃くすること(良さを引き出しやる気を起こさせるなど)


『悪』=時間を奪うこと、時間を薄くすること(批判・否定してやる気をなくさせるなど)

 

それぞれの考えがあるでしょうし、正解があるわけでもないので
ここでは単純に『善』と『悪』という対極のものがある、ということで話を進めていきますね。

 

 

『善』と『悪』は存在する。当たり前ですよね。

そしてこの2つはいつも同時に存在します。

 

一番わかりやすい例は、ハロウィンの歩行者天国。
(私は行ったことはないですが毎年ニュースで見るので^^;;)

 

みんなステキに仮装して、観光客もいっぱいきて、
仕事や勉強や人間関係のストレスを発散!という感じでとっても楽しそうです。
経済効果もすごいんじゃないですか?

 

しかし反面、大量のゴミ、騒音、
交通規制や保安に奔走する人々、
ぼっちの人の気持ち(^^;;)


などなど、

一部の人はめっちゃ楽しい!
反面、一部の人はめっちゃ迷惑!
という、分かりやすい対極が同時にできてますよね。

 

これはもう自然の摂理として仕方がないんだろうなと思います。


自然界でも
「喰うもの」と「喰われるもの」が同時に存在しないと回らないからです。



なんらかの『善』を行おうとするということは、
対局にある『悪』を発生させます。

 

こう書くと、
いいことをしちゃダメなの!?
と思われるかもしれませんが、

 

本当に何かのために良いことをしている人というのは、
 自分の行いが『善行』であるという認識はなく、
 『中庸』(偏りがなく、極端でない)の精神でやってるんじゃないかなと思います。

 

『中庸』であれば悪を発生させないからです。

 

(具体的には、自分の得意分野を生かし、賞賛を必要とせずやるべきことをやる、という状態ではないかと考えています。)

 

中庸にするには、現実をしっかりと見て、
素直な心で地道に視野を広くしていくしかないです。
中庸スイッチがあるわけではありません^^;;

 

中庸に見ることができれば
 『善』の名を借りた『悪』に気づけるようになります。

 

 

★私もものの見方がとーーーっても偏っていたため、
 偏った見方がどんな結果を及ぼすのか、理解できるようになってきました。
 (今もうっかりすると偏るので、油断できないです^^;;

そもそも偏ってる時は自分ではわかりませんので今も偏ってるかも??

後になってから、あっ偏ってたんだ!と気づくという繰り返しです。)

 

自分は良いことをやってる!と思い込んでいたり、
 被害妄想が激しい人は
 『善』と『悪』の区別はないことになるようです。

 

『中庸』で見てるわけではなく、
 『善』と『悪』のどちらか自分の都合の良い方のみを見て、
 片方を見ないようにしているだけです。

 

そしてそれが周りの人に迷惑をかけるのですが、
 それすらもないことになっちゃうわけですね(-▽-;;)

 

某分野ではポジティブなことだけにフォーカスして
 ネガティブを見ないようにすれば波動が上がって意識シフトする的なことを言われます。

確かに、ネガティブに引きずられがちの人は(←私もそう-▽-;)

意識的に見ない方が良い場合もありますが、


捉え方を間違えると

現実逃避へのトラップになりますので注意した方が良いです(((( ;゚Д゚)))

 

 

※見るのは善悪ではなく「現実」です。しっかり見ましょうね^^

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 11:52 | - | - | - |