12)中庸でしか本当に正しい判断はできない

【中庸】ーーーーーーーーーー
 
 1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。

 

2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。
過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

 

(デジタル大辞泉より引用)
ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

人にはいろんな成長の仕方がありますが、
ひとつの形として。

 

『盲目』(知らない)
 ↓
 『気づき』(知る)
  ↓

『盲信』(狭い理解)
 ↓
 『気づき』(知る)
  ↓

『中庸』(広い理解)

 

『盲目』から『気づき』が起こると
いわゆる『ゼロが1になる』ので、ものすごく成長したように思えるかもしれません。


しかし、
盲信では正しい判断はできません。
認識や理解に偏りがあるからです。

 

ですが、


『盲信』同士が

 

お互いに尊重しあうことで

 

中庸が生まれます。

 

 

 

10)『善』と『悪』は存在する。(2019.07.19)

 

 

 

★尊重っていうのは仲良くしろ!っていう意味ではないですよ。

そんなん無理じゃんね^^;;

 

「私は『盲信』なんてしてないよ!」と思う人は

厳しいこと言っちゃいますが

ほぼ何かに『盲信』してるんじゃないかな^^;

もしかして・・と考えないからです。

 

 

おそらくは、※精神レベルの高い人※

(こういう言い方が適切なのかどうかわかりませんが、
他に良い言い方が見つかりませんので^^;;
何度も書いてますが、高いから良い、低いから悪い、ではありません。)は

 

『盲目』
  ↓
『気づき』
  ↓
『中庸』

 

と最短でいけると思います。

 

残念ながら私自身は、私の周りも含めて

『盲信』で止まってるヒトコトモノが多い気がしますので
まだまだです。(-▽-;;)は〜・・遠いわ。

 

今の世の中は、
何も知らずに『盲目』『盲信』でいられる方が幸せなのかもしれない、
ってこともちょっと思うんですよね・・。

 

赤いカプセルと青いカプセル、どっちを飲む?(2017.11.20)

 

ただやはり、最終的には『帳尻合わせ』が起こるでしょうから
対極にあるもの(善なら悪、悪なら善)に気づき、
中庸へ向かうように努力もいいんじゃないかな。

 

『アミ小さな宇宙人』愛の度数と善良なおバカさん(2017.12.18)

 

対極にあるものって、モノによってはめっちゃ怖いんですが^^;;
成長痛、って仕方のないことなんですよね。

 

 

この記事にピンときたらシェアしていただけるととてもありがたいです。

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 10:46 | - | - | - |
真実の反対は『理屈』?

真実についてえらっそーに書いてみたわけですがヽ(≧∀≦)ノ

 

探求オタクの真実への考察


ここのところ、


真実の反対は『ウソ』ではなくて『理屈』

 

という考えが頭から離れません。

 

『ウソ』は人によっては真実だったり、ウソから出たマコトになったりもするし、
いわゆる『解釈の世界』でもあるように思います。
相手を思いやる優しいウソ、ってのもありますしね。

 

その点、『理屈』は頭”だけ”です。


五感を使わなくても世の中の情報や個人的な思考のみで成り立つ世界です。

これこそファンタジーのように
矛盾あり・根拠なし・言動不一致でも成り立ちます。
理屈は”結果”を必要としないですから。

 

と、言うことをなんかこう・・上手い具合に証明できないものだろうか?
と思っておりましたら、こんな記事が目に入りました!
ライターは現役東大生だそうです。


====================

東大に「推薦で入った人」のプレゼンが凄すぎた
(東洋経済オンライン 2019/9/21)

 

(以下引用)

 

東大の推薦入試はグループで行われることが多いので、基本的にほかの人のプレゼンも聞くことになります。だから合格した人は、合格した人のプレゼンも、惜しくも不合格になってしまった人のプレゼンも、両方聞いている場合がほとんどなのです。

 

それを利用して今回僕は、推薦合格した人に対して「ぶっちゃけ、合格した受験生とそうでない受験生って、何が違ったんだと思う?」という、ちょっと意地悪な質問をぶつけてみました。

 

どの東大生も「うーん……それは難しいな……」と悩んでいたのですが、最終的にはこういう回答をする人が多かったです。

 

「自分の経験を交えて語れていなかった人は、不合格になっていたと思う」と。

 

(中略)

 

例えば「今の世の中にはこういう問題があって、それに対してこういうことをすればいいと思います!」と語っている人がいたとして、その問題もその分析も、究極的に言ってしまえば調べればわかるものです。

 

東大の教授はそれ以上のことを知っているだろうし、考えているはずで、そこに価値はない。

ほかの人でもそのプレゼンはできてしまうはずですし、それはもはや、

 

プレゼンではなくただの「分析」なのです。


(引用おわり)
====================


ただ頭がいいだけではない、体験を肚に落としてしっかりと語れる人が選ばれるようです。

 

これを読んで、
やっぱりな!と思うと同時に、
ホッとすると言うか・・

 

今までは、現実を無視したただの理屈でも
グイグイと力づくでまかり通っていて、
それが当たり前の世の中でした。

 

子育てに関しても、
こうすればいいはず!私の時はこうだった!という前時代的な扱いや、
子供は親を喜ばせるために生まれたんだから私がわがままになればいいんだわ!
というとっても都合のよい自己啓発系とか(笑)

 

『現実を見てない(=子供個人と向き合ってない)』からそうなるんだと思います。

 

政治も経済も、体験した人しかわかるはずはないのですが
メディアでビジネスするコメンテーターが理屈のみで語るのを真に受けたとて
理屈が肥大するだけで何も変わんないですよね。

 

しっかりと現実を見て、体験し、
理屈ではなく真実を見ようとする若者が増えれば
日本はもっともっとステキな国になりそうですね^^

 

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 18:05 | - | - | - |
11)大切なのは、現実。

大切なのは現実です。
本当に・・当たり前のことしか言ってないです^^;

 

ですが、実際にちゃんと現実が見えてる人はどのくらいいるのか・・
私も含めてそんなにいないんじゃないかと思います。

 

どちらの現実が良いでしょうか?

 

<A>
 矛盾がない
 根拠がある
 人間性が優れている
 言動一致

 

<B>
 矛盾がある
 根拠がない
 人間性がイマイチ
 言ってることとやってることが違う


ちなみに、空想・妄想の世界は
<B>が全部通る世界です。
ファンタジーなら面白いですね^^;

 

今の世の中はなぜか<B>がまかり通ってることが多いです。
わざと複雑化させ、フェイクとトラップだらけで、
ちゃんと現実を見ましょう!といっても難しいかもしれません。

 

もしくは、<B>の世界を望む人が多いのでしょうね。



人は弱い生き物です。
何かにすがりたくなる時もあります。

 

衝動で行動したり、慢心に陥り、魔が差すこともあります。
反省したつもりがまた同じことを繰り返します。

 

学んだつもりが曲解し、迷惑をかけまくり、気づかず、
自分が賢くなったように錯覚します。

 

だからこそ、
この与えられた大切な身体を使って行動し、
五感をフル活用して、考えて、
少しでも成長できるようにがんばるのだと思います。

 

自分は自分以外の何かにはなれません。
地球で産まれた、人の細胞をもった人間です。
これ以上何を望むのでしょうか?

 

大切なのは現実です。


現実はあなたのものです。
 決して他人に差し出さないでください。

 

 

★立て続けに、歪んだ価値観に振り回された友人知人の話を聞き、
私自身の体験と変化を踏まえてこのような記事を書きました。

 

やりたいことはやればいいじゃない?というスタンスを貫こうとしましたが、
そうも言ってられないと思いました。
やはり悲しむ人がいる限り、人道から外れたことはきちんと認識すべきです。

 

無意味!とか、ちょっとキツイ言い方になったことをおわびします^^;
私だって人に迷惑をかけまくっている人間です(><;;)
偉そうに語れる身分ではありませんが、どうしても言いたかったのです。

 

いまの世の中は、現実を見て考えるという当たり前のことを放棄し、
人の言うことを鵜呑みにするように仕向ける情報が多すぎます。

 

なぜかわかりますか?その方が都合が良いからです。


考えることを放棄した身体はどうなると思いますか?

 


以前、ある人の死から学びました。ごく普通の人です。
壮絶な人生と死でした。

 

「人生を乗っ取られるとこうなるんだよ!
君だけじゃない、それを見ている子供達もいずれこうなるんだ!」

 

私はこの人にキリストの姿を見ました。
人類全てのカルマを背負ってるように見えました。

 

献身という姿勢は、時にはさらなる悲劇を招くのだと思いました。

 

この死を”無駄死”にするかどうかは、生きている私次第です。

学んで、実践して、失敗して、また学んで、
そんなことを永遠と繰り返しています。

 

その結果の記事です。
決して特定の誰かを批判する目的ではありません。
今までの学びと体験から書いているということをご理解ください。

 

読んでくださってありがとうございます。

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 10:07 | - | - | - |
10)『善』と『悪』は存在する。

『善』と『悪』は存在する。『善』の名を借りた『悪』に気づける人になることが重要。

 

何を持って善悪の区別をつけるのか。
以下は私の解釈です。

 

『善』=時間を与えること、時間を濃くすること(良さを引き出しやる気を起こさせるなど)


『悪』=時間を奪うこと、時間を薄くすること(批判・否定してやる気をなくさせるなど)

 

それぞれの考えがあるでしょうし、正解があるわけでもないので
ここでは単純に『善』と『悪』という対極のものがある、ということで話を進めていきますね。

 

 

『善』と『悪』は存在する。当たり前ですよね。

そしてこの2つはいつも同時に存在します。

 

一番わかりやすい例は、ハロウィンの歩行者天国。
(私は行ったことはないですが毎年ニュースで見るので^^;;)

 

みんなステキに仮装して、観光客もいっぱいきて、
仕事や勉強や人間関係のストレスを発散!という感じでとっても楽しそうです。
経済効果もすごいんじゃないですか?

 

しかし反面、大量のゴミ、騒音、
交通規制や保安に奔走する人々、
ぼっちの人の気持ち(^^;;)


などなど、

一部の人はめっちゃ楽しい!
反面、一部の人はめっちゃ迷惑!
という、分かりやすい対極が同時にできてますよね。

 

これはもう自然の摂理として仕方がないんだろうなと思います。


自然界でも
「喰うもの」と「喰われるもの」が同時に存在しないと回らないからです。



なんらかの『善』を行おうとするということは、
対局にある『悪』を発生させます。

 

こう書くと、
いいことをしちゃダメなの!?
と思われるかもしれませんが、

 

本当に何かのために良いことをしている人というのは、
 自分の行いが『善行』であるという認識はなく、
 『中庸』(偏りがなく、極端でない)の精神でやってるんじゃないかなと思います。

 

『中庸』であれば悪を発生させないからです。

 

(具体的には、自分の得意分野を生かし、賞賛を必要とせずやるべきことをやる、という状態ではないかと考えています。)

 

中庸にするには、現実をしっかりと見て、
素直な心で地道に視野を広くしていくしかないです。
中庸スイッチがあるわけではありません^^;;

 

中庸に見ることができれば
 『善』の名を借りた『悪』に気づけるようになります。

 

 

★私もものの見方がとーーーっても偏っていたため、
 偏った見方がどんな結果を及ぼすのか、理解できるようになってきました。
 (今もうっかりすると偏るので、油断できないです^^;;

そもそも偏ってる時は自分ではわかりませんので今も偏ってるかも??

後になってから、あっ偏ってたんだ!と気づくという繰り返しです。)

 

自分は良いことをやってる!と思い込んでいたり、
 被害妄想が激しい人は
 『善』と『悪』の区別はないことになるようです。

 

『中庸』で見てるわけではなく、
 『善』と『悪』のどちらか自分の都合の良い方のみを見て、
 片方を見ないようにしているだけです。

 

そしてそれが周りの人に迷惑をかけるのですが、
 それすらもないことになっちゃうわけですね(-▽-;;)

 

某分野ではポジティブなことだけにフォーカスして
 ネガティブを見ないようにすれば波動が上がって意識シフトする的なことを言われます。

確かに、ネガティブに引きずられがちの人は(←私もそう-▽-;)

意識的に見ない方が良い場合もありますが、


捉え方を間違えると

現実逃避へのトラップになりますので注意した方が良いです(((( ;゚Д゚)))

 

 

※見るのは善悪ではなく「現実」です。しっかり見ましょうね^^

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 11:52 | - | - | - |
9)生きるために本当に大切なものは、金銭のやり取りを目的とした場では現れない。

本当に大切なものは全て無料です。


光も風も、人の笑顔も、思いやりも。
そこにあるのは「愛」のみで、愛にはお金はかかりません。

 

というセミナーを行いますので、お一人様3,000縁をお願いいたします。
(キャンセルは返金いたしませんので、ご留意ください。)

 

・・という冗談はさておき(≧∀≦)

 

 

お金は大事です。
文明社会で暮らすなら当たり前のことですよね。

 

ところが冷静に見ると、

お金に関しては本当に矛盾が多いと感じます。


気づかせない、というか、
お金は人の思考を少しおかしくさせるパワーが確かにあるんだろうなと思います。

 

お金は価値を数値化したものですが、

数値が低ければ低いほど良いと思う人もいれば、
高ければ高いほど良いと思う人もいる。

 

大切なのは「適切な数値か?」を見極めることだと思います。
本当に難しいですけどね^^;;

 

 

モノやコトを提供する、得る、何かをしたくて、誰かに喜んで欲しくて、
という目的で金銭のやり取りがあるのであれば
お金は「ツール」となりますので健全ですよね。
それが本来のお金そのものの価値です。

 

しかし、
お金を得る
という行為がメインであり「目的」となってしまってる場合は・・

 

前述したように、
お金は人の思考を少しおかしくさせるパワーがあります。

 

相手から「お金を払う人」と見られるようになったら、
自分が相手を「お金を払う人」と見るようになったら、

 

ちょっと冷静になったほうが良いでしょうね。

 

 

★お金の話は難しいですね・・。
 

お金がないって『思い込んでる』人も多い気がします。

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 11:14 | - | - | - |
8)どんな人でも『慢心』に陥ったり『魔』が差すことはある。

前項のように、人は根本は変わりませんが表面上は変化します。
何かのきっかけで人が変わったようになることもあります。

 

 

「慢心」は、もともと人が持っている心で、
仏教で言えば煩悩の1つだそうです。

 

例えば、大金を得た、人から認められた、地位が上がった、龍がついた(笑)等で
それまでの抑圧から一気に解放し、調子にのってしまう。

 

ただ調子にのるだけなら良いですが、
威張り散らしたり、人を支配しがちになったり、わがままし放題になったりすると
普通は人が離れていくわけですが、
立派な肩書き、イケイケドンドンな経済状況、見栄えが良い、話術が優れている、などの
世俗的な魅力があると、慢心のまま生きていけることもあるでしょうね。

 

家族間でも、
親が子を支配するのは、実はこの「慢心」があるのではないかな、と思います。


言うことを聞いてくれる弱い立場の人間(子供)を得れば、
抑圧されて生きていた人にとっては抑圧する対象を得ることになって、
安心して慢心を発揮できるのだと思います。
これが連鎖です。怖いですね〜・・(><;)

 

誰でも持っている「慢心」を、どうコントロールしていくか。
それが精神の成長の一つだと思います。

 


一方、「魔」が差すとはその名の通り
一瞬「自分以外のもの」が乗り移ったようになることです。

 

コンビニの駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えた!
これは「魔」が差したわけじゃなくて、
「うっかり」です。しっかりしてください^^;

 

コンビニの駐車場でアクセルを踏み込んだ!
これが「魔」です。

 

そんなことをしたら怪我人が出る!
店も車もぐちゃぐちゃになる!
ってことは、いちいち考えなくても当たり前のようにわかってるはずです。
これが「理性」です。

 

「魔」は「理性」というリミッターをぶち壊し、
その人の人生もろとも破壊します。

 

世間は「魔」が差した人、つまり加害者になった人に集中砲火を浴びせます。
しかしながら、
その人に「魔」が入るほど追い込んだのは一体なんなのか。誰なのか。
深く探っていくと、加害者は一人ではないと気づくかもしれません。
たまたまその人が表面化させられた、ってこともあるかもしれません。



「慢心」はよっぽど人間ができてる人でない限り誰でも陥ります。
「魔」はそうそう差すことはないと思いますが、絶対ないとは言い切れません。


どっちも迷惑ですよね^^;;

 

強い理性と常識を保ち、
そうならない人間を目指していきたいものです。

 


★6で書いた「衝動」は、マイルドな「魔」なのかも。
(「小悪魔」、って書くと可愛すぎちゃうかな^^;;)

 

 

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 11:37 | - | - | - |
7)人は根本は変わらないが、表面上は良くも悪くも変化する。

人は根本は変わらないようです。

 

成長したように見えても、世の中を渡り歩くための対処法など
なんらかのスキルを身につけただけです。

 

逆に、落ちぶれたように見えても、
ふとした拍子の行動や仕草は、昔と変わらないでしょう。

 

三つ子の魂百まで
(幼い頃の性格は百歳になっても変わらない)
なんて言われますが、きっと本当なのでしょうね。

 

様々な学びも、

ただ知識が身についたというだけです。

 

様々な体験も、

ただ体験したというだけです。

 

もし変わるとしたら、

何か大きな出来事があって、
もう嫌だ!と本気で思った時だけだと思います。

 

中途半端では絶対に無理です。

 

魂をえぐり・・破壊して・・
今までの自分をとことん省みて
まさに生まれ変わる。

それぐらいじゃないと無理です。


辛いですよね、誰にでもできるわけじゃないですね。

 

つまり、人間はそう変わらないのですから、
どうして変えられないの!
変わったと思ったのに!と嘆いても無理な話です。


それでも表面上は、
良くも悪くも変化できるのですから、
変化させながら生きていくのが醍醐味だと思います(笑)

 

 

★あなたはそのままでいいんですよ、
と、甘い言葉に涙するのも人生です。

 

そのままでいい、っていうのは・・
そのままでいい、っていうことです。
そのままでいいですか?


と、偉そうに言ってる私は
変化できてるのかな〜〜??^^;


以前の私には絶対に戻りたくない。
そう思えるのは、ちょっとは変化したってことなのかな?

 

 

自分クエスト〜自分をとことんまで掘る〜(2018.04.25)

 

「変わってないね〜〜」(2017.09.22)

 

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 16:45 | - | - | - |
6)『直感』はその人の人間性の上にあることを忘れてはならない。

例えばのお話。

 

分かれ道があります。

 

仕事を真面目にこなし、気遣いも細やかなAさんは、
直感で右の道を選びました。

 

いつも遅刻をして悪びれもせず、不都合があると人のせいにするBさんは、
直感で左の道を選びました。


さて・・あなたはAさんとBさんのどちらを信用して道を選ぶでしょうか?



直感に従う。正しいと思います。


直感とは、その人の『素(す)』です。

世間体などの世俗から離れ、
赤ちゃんのような純粋さから発せられる感覚と言われています。

 

なぜ直感が良いのかというと、私は

動物が持っている(生存)本能に近いからではないかな?と考えています。


でも残念ながら、ここにトラップがあります。


『直感』と『衝動』は真逆です。
にもかかわらず、とても似ているので見極めが難しいのです。

 

『直感』行動しているつもりなのにまったく上手くいかない人は、
『衝動』と間違えてるから現実を見据えて『熟考』しなさい、ってことかもしれません。

 

世の中には直感を信じて成功した話がたくさんありますが、
失敗した話はその何倍もあるんじゃないでしょうか?
恥ずかしいから表に出しませんよね^^;;

 

本物の直感には、突き詰めれば『根拠』があるのではないかなと思います。

 

例えば道を選ぶ時に、
先が明るく見えるとか、花が咲いてるとか、懐かしい道と似てるからとか、
五感で得た経験上の様々なことが脳内に浸透し、
無意識に判断しています。

 

直感はその人の人間性と経験によって

「質」が変わってくるのです。



最初の話に戻りますが、
どちらを信用しますか?

正解は・・


AさんBさんではなく、自分の直感を信じる!です

 

自分を信じれば、
たとえ間違っていたとしても人のせいにできませんからね(笑)

 


★昔流行った「ビビビ婚」をふと思い出してしまいました^^;

 

私は、人の『直感』は決して否定してはいけないと思います。
それがその人のアイデンティティだからです。


賛同できるなら見守ればいいし、
理解できないのなら離れればいいだけです。
(例えそれが『衝動』であるのがわかったとしても、
本人が直感だと信じているなら仕方がないことです。触らぬ神に・・なんとやらです^^;;)

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 11:26 | - | - | - |
5)大切なのは五感と、それに伴った考える力。

私たちには、生まれながらにして

五感(視覚・触覚・聴覚・臭覚・味覚)と、
 考える力を与えらえています。

 

青空を『目』で見て、
風を『肌』で感じて、
鳥のさえずりを『耳』で聞いて、
花の香りを『鼻』で嗅いで、
おにぎりを『舌』で味わう。

 

気持ちいー!
楽しー!

って、『心』が感じる。

 

今日は暑いから梅干しおにぎりにして正解だったな、
あっでもシャケも食べたかったな〜
次は作ってこよう!
って、『頭』で考えることもできますよね。

 

五感を活用すれば、ちゃんと心も頭も働きます。
『矛盾』もなく、『根拠』もある方法で。

 

 

五感をないがしろにしていると、考えることをストップさせます。
『矛盾』と『根拠なし』の状態で動くようになり、
言動がおかしくなります。
(前述の『言動不一致』の状態もそうです。)

 

五感は『考える』ためのツールです。
 大切にしましょう。

 


★私は長い間、五感よりも目に見えないものの方が大切かと思っていました。
悩みながら生きてきたので、そこに現状打破するきっかけがあるのではないかと思っていました。


でもそれは大きな間違いだったのです。

 

人は、五感という素晴らしいギフトをもらって生まれてきています。
それは、五感があれば生きていけるということです。

(生まれつき五感に障害のある方は、五感の中の他の感覚が発達していると思います。)

 

世の中には、あなたにもできますよ♪人の役に立ちますよ♪という甘い誘いで
六感をこじ開けるという恐ろしいビジネスもあります。
お金を出して開くなんて、とんでもないことです(><;;)

 

まともな神経なら普通じゃないと気づけるはずですので、
どんなに悩んでいても絶対にやっちゃダメですよ!
本人だけの問題ではないのです!

 

六感が必要な人は生まれつきか、その時がきたら勝手に開くはずです。
そもそもそんなにいいもんじゃありませんよね(><;;)

 

私は五感と考える力を大切にして生きます。

それが人間の姿だと思います。

カテゴリ:探求オタクの真実への考察 | 10:50 | - | - | - |
4)言動一致でないものは一切無意味。

「ふわっ」と発せられたものは「ふわっ」となくなります。

「ふわっ」と発した本人は「ふわっ」と発しただけなので
「ふわっ」と忘れます。

 

本人だけであれば平和で良いですが、
周りの人を巻き込んでしまうと非常に厄介です。

 

「ふわっ」と発せられたものを信じた人が、いろいろと期待する。行動する。
「ふわっ」と発した本人は忘れてるので、
信じた人は振り回され時間の無駄遣いをしてしまいます。

 

指摘したところで「ふわっ」と発した本人は忘れてるので話し合いにはなりません。
「なんか知らんが言いがかりをつけられた!」と逆ギレする人も。(・・いましたそういう人・・^^;;)


また、その場の勢いで発言する人もいるでしょう。
いわゆる「ノリで」というやつです。
(これが一番多いかもしれません^^;;)


ブログやSNSで発する内容と、実際の人格・生活が違っていたら。
近くで見てる人は冷めた目線を送るでしょうね。
「必死だなww」と。

 


本当に怖い、
言動不一致。

 

 

言動不一致がちの人は、忘れっぽいとかそういうことではなく発言が無意識なのでしょう。

悪気は一切ないし、言うなればエンターティナーなのかもしれません(笑)

(そういう人は面白いので大好き!って人もいると思います。)

 

とはいえ、
巻き込まれ苦労しやすい人がいるのも事実です。

回避するには、最初の3つにも書いた
『矛盾がなく』『根拠があり』『肩書きではなく信頼できる人間性であるか』
を見極めるしかありません。


また、相手がというよりも、
自分自身が言動一致の人間になるのが先決です。

 


言動一致は、相手への思いやりです。

 

 


★今回の記事は自分の首を締めながら書いてますヽ(;▽;)ノ

 

ずっと人の顔色をうかがいながら生きていたため、
 その場をやり過ごすために必死で、適当なことを言ってきました。

 

自分がみえていなかったのです。

 

そう気付いた時は顔面蒼白でしたよ(((( ;゚Д゚)))


身を守るためのことが「言動不一致」となり、
 それがさらに自分を苦しめることになっていました(><;;)

 

 

心の成長を意識するようになってからは、とにかく「言動一致」を心がけてきました。
 どうしてもできないことも多々ありますが、
 人に迷惑をかけていたら、できない理由を話す等、
 できる限りフォローするようにしています。

 

とはいえ、天然ちゃんなので、
 「ふわっ」と忘れてることがどのくらいあるのか・・(((( ;゚Д゚)))
 謝ります、ごめんなさい!!!


本当に怖い、言動不一致。^^;;;

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