世界はこんなにフクザツだ!社会で輝く女性???

今日はボランティアメンバーと打ち合わせを兼ねたおしゃべり会(笑)でした。
みなさんステキなお母さん達で、
話してるといかに自分の頭が硬いかよくわかる。
本当に、私ってまだまだだわー。伸びしろアリまくりだわー。

 

乳幼児と関わるパートをしてる人たちもいまして
その話を聞いてると、
なんだか女性の社会進出ってなんなんだろう?って思うよね・・
というと皆もウンウンと。

(あっ、もちろん外部で話しても差し障りのない話しかしてませんよ!)

 

帰ってからたまたまネットで
某H氏の
「保育士は誰でもできる仕事」という発言で炎上してるニュースを見ました。

 

・・誰でもできる??
一瞬、私もムカッとしましたが、よく読み込んで行くと
「なぜ保育士の給料は低いのか?」という問題提起への返答だと。

 

誰でもできる・・
確かに、誰でもできるよなあ・・
能力が高いか低いかは別として。

 

幼児期の人格形成がどうのこうので
保育士は簡単じゃない!と反論するひとも多いみたいですけど、

 

そこまで保育士さんに押し付けるの?

 

じゃあ、親って一体なんなの???


(時事ネタは避けてたんですけど、ちょこっとのっかってみました。)

 

働くお母さんたち、大丈夫ですか?(2016.11.02)

カテゴリ:ザレゴト・ヒトリゴト | 13:43 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その9>マジメからの自由

ある日、ふと気づいたのです。

私は仕事が好きだけど、なぜいつもアップアップになるのだろう?

 

※画像はイメージです


学生バイト時代からずっとです。
特に会社員時代は、出社すれば給料が支払われるので
テキトーな人はよりテキトーに、
がんばる人はさらに仕事を増やされました。
パワハラ上司はひとりだけ定時で帰って
私たち平社員より高い月給をもらっていました。

 

さらに遡って、学生時代。
私はちゃんと宿題をやる生徒で、よく、ノート写させてと言われました。
普段話さない子からもです。
勝手にノートを回されたりもしました。

 

当時の同級生たちは、
私にノートを写させてもらったことは一切覚えてないでしょうね。
私も誰に貸したのか覚えてないですし、
ずっと忘れていたことです。

 

そして、ある日、ふと気づいたのです。

テキトーに仕事してて、
「学生時代はノート写させてもらってたー!」と
飄々と言ってのける人が
いつも楽しそうなのはなんで!?

 

仕事も、宿題も、こちらが時間を使って懸命にやっていることを
のらりくらりとかわして生きてる人がたくさんいるのに、
なぜ、私はいつも「必死」なんだろう??

 

彼らに対してどうこうではなく、
単純に、「なんで自分はこうなんだ??」と疑問に思ったわけです。
この疑問が昨年ニヒリズムに陥った原因の一つですが、
結果的に自分がいかに仕事依存であり奴隷体質だったか、よくわかったので
気づけて本当によかったと思っています。
(奴隷体質=人に嫌われたくないという思い)

 

話は変わりまして。

 

トマトくんの学校は、今の時期、土日に登校することが多くなります。

そのことがトマトくんには不満でした。
中学生と保護者向けの学校見学のためです。
私学なので受験生集めに力を入れてるのでしょう。


土曜はプログラミング塾なので日程調整もしなくてはいけないし、
好きなイベントと重なって行きたくても行けなかったりなど、
いつもグチっていました。

もちろん代休はあるし、見学者が来ることも授業の一貫です。
私も仕方ないと思っていました。

 

でも、先日(10月15日)、ふと気づいたのです。

 

これって、大人都合だよね????

生徒の土日の楽しみを潰して、
生徒獲得のための授業をしてるんだよね??

 

そこでトマトくんに、
「今の成績なら出席日数が足りれば進学できるんだから、
どうしても行きたいイベントがあるときは休むのもアリだよ。」
と話しました。

 

するとトマトくんは目を丸くして、
「その発想はなかった!」

と言いました。

 

うん、お母さんもその発想はなかった(笑)

 

後になってから私って成長したなーって思うことはありますが、
成長する瞬間を感じる、しかも親子で!なんて、
滅多にない経験!だと思いました。(これが一体感!)
(今となっては、2日しか経ってないのに、何を当たり前なことを?と思います。
この発想、本当になかったのです!そのことに自分でもびっくりです。)

 

「でもオレ、皆勤賞を狙ってるから出席する」

 

さすがトマトくん!
行く、行かない、それは学校側じゃなく、
自分で選べるんですよね。

 

私は、たとえサボってる人が多くても自分の仕事はきっちりやりたい。
だって、その方が”自分”の気持ちがいいです。(*´v`)
疲れたらサボります。私が私であることは変わらないです。

 

道はいくつもあるってことを

知ってるだけで自由になれます。

 

自己評価の低さと被害妄想<その3>ワーカホリック(2017.01.13)

カテゴリ:ココロとアタマ | 13:21 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その8>苦手なものを受け取れる?

ここまでをまとめます。

 

受け取れる人を育てるには

一体感を与えること
罪悪感を与えないこと

否定しないこと

 

受け取れる人になるには

罪悪感をなくすこと
自分を否定しないこと

 

私はかつてとても罪悪感が強く、
水道から水を出すたびに罪悪を感じていた時期もありました。
今でも完全に抜けているわけではありません。


離婚して子供たちを片親にしてしまったことも、
後悔はしていませんが多くの人に迷惑をかけてしまったことは事実です。
色々悩みましたよ。
今は仕事上、男性の知人は増えましたが
恋愛なんてとんでもない、で、駆け抜けてきました。
他人から見れば、なんてつまらない人生なの?と思われるかもですね。

 

実はこのブログ内で、恋愛の話を出すのは初めてです。
なぜかというと、苦手だからです。正直言って書きたくないくらい苦手です。
にも関わらずなぜこの話をするのかというと、

 

豊川稲荷でなんの気なしに引いた縁結びおみくじが
「恋人との縁」だったからですΣ(゚д゚|||)

 

ほんっとに申し訳ないんですが、
8種類のうち、他のご縁はどれが出ても良かったのです。
唯一いらないものを引いてしまったのです。

 

これがどういう意味なのか。
今、湧いてきたものを書きます。

 

苦手だと感じているものを受け取った時に
全ての罪悪感がなくなったということになる。
できるかな?(笑)

 

この(笑)ってなんだよ!
って感じですが、
確かに、器が広い人って苦手意識がないというか、
あらゆることを面白がりますよね。

 

それにしても・・勘弁してよ・・ヽ(;▽;)ノ

恥を忍んで書きましたが、
おそらくは誰にでも当てはまることだと思います。

 

一番苦手(だと思ってるもの)を、
受け取る勇気はありますか?

カテゴリ:ココロとアタマ | 12:34 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その7>究極のKY!

ちーいさいー頃〜は〜
かーみさまがいて〜
ふーしぎに夢を〜叶え〜てくれた〜♪

 

それは”1番”だったからです!

 

※画像はイメージです

 

さて、無垢な子供は別として(無垢な大人も別として)

大人で受け取れる人っていうのはどういう人なのか。
私はまだ1番を見上げてるところなので(笑)
2番の立場(?)から観察させていただきますが、

 

究極のKY(いい意味で)

 

なんじゃないかな?と考えています。

 

具体的にいえば、

いかに罪悪感を抱かないか

だけ。シンプル!

 

人からの批判を一切受け入れない、
スルーしちゃうメンタルの強さ。
さらに上級になると”天然すぎて気づかない”とか?
とにかく
人の意見を”気にしない”人が受け取れるようです。

 

あんまり具体的には書けないですけども^^;
「自分は絶対に人から悪く思われていない。
いるとしたらレベルの低いヤツだ。」

と思い込んでる人って、
なんやかんやでやっぱり強いんですよね。
(褒めてます^^;;)

 

ただ、周りから見ればやっぱりKYなので
受け取れるのは周りの人間のサポートのおかげだったり、
たくさんの人に迷惑をかけてることに気づかなくて
”慢心”が発動してしまい、
自分一人で成し遂げたように振る舞ったりとか、
お世話になった人たちを無下にしてしまったりとかで、
サポートしていた人たちが一斉に逃げてしまう。


そうなると1番にい続けることは難しくなりますよね。
<その1>でやっぱり人格を磨くのは必要、と書いたのはそういうわけです。

・・ただしこれは、凡人が努力して1番になった場合です。

 

究極は、エネルギーがものすごく強い人。


その人の行いが良いか悪いかは別として、

それが正道になる場合もあるわけです。
 

だって”無条件に受け取れる”からね。
人々が賛同せざるを得なくなりますよね。

 

何れにしても普通の人には耐えられないと思います。
人からの批判も、批判される人のそばにいることも。

 

だから、変人が世界を救う!と、私はずっと言い続けているのです(笑)

 

スティーブ・ジョブズ・・・ほんとうにすごいのは・・・(2017.07.20)

 

カテゴリ:ココロとアタマ | 20:50 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その6>否定するなかれ

昨夜ステキな夢をみて、
今朝、なぜかまた『方丈記』の一節(最終章)が頭をぐるぐる回り、
胸が締め付けられてしまいました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いま、草庵を愛するも咎とす。
(現代語訳:今、草庵を愛することも、罪となる。)

 

「方丈記」

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※画像はWikipediaから引用しました。

 

都を離れ、ひっそりと静かな生活を送っていた鴨長明氏。
もし、私が麓に住んでいた子供だったなら、
こう叫びたいと思いました。

・・・

 

いいんだよ!愛していいんだよ!!!!

 

本当は都に居たかったのかもしれない、
自分の人生、こんなはずじゃなかったと思っているかもしれない、

でも、この小さな草庵と静かな暮らしは
あなたが自分で得たものだ。

 

否定しないで。自分を否定しないで。

 

・・・

執着を持つことはよくないという考えには私も賛同します。
でも、


本当に好きなものを好きだと思う気持ちは執着じゃないでしょう??
 

本当に好きなものに罪悪感を持つこと、挙げ句の果てに手放すこと、
そんな教えが道徳倫理なのだとしたら
こんな世の中●※(`Д´)×□!!!!だ!(←自主規制)


否定するな否定するな否定するな

 

この世に戒めがあるとしたら

 

『自分と他人の”好き”を否定するなかれ』

 

時間を奪うとはこういうことだ。

 

(この世に戒めがあるとしたら、ってどういうことなのかな?と思いましたが、

”〜〜してはいけないという戒め”の唯一の戒め、という意味かもしれません。
今回、なぜか涙が止まらん状態で勢いで書きましたので、文章がいつも以上にメタメタですがそのままアップします。)

 


こちらの記事もよかったら読んでください。
冬至と方丈記と人生論と引きこもりと晩年(2016.12.23)

鴨長明「方丈記」から読み取る「孤独」(2016.12.25)

日野原重明先生の絵本『いのちのおはなし』いのちは時間(2017.07.18)

カテゴリ:ココロとアタマ | 10:26 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その5>子供に与えたくないものは

子供に与えたいものは一体感

そして

 

子供に与えたくないもの、それは

 

罪悪感

 

です。

 

 

なぜそう思ったのか、
どう書いていいのかわからないので説明は割愛しますが、
自分が今まで生きてきた経験上、
(私は非常に罪悪感を感じやすいタイプでした。)

 

罪悪感とは、


過去に自分を縛り付ける錘にしかならないからです。
受け取りを拒否する理由にしかならないからです。

 

もちろん人に対してやらかしちゃったご迷惑、などなどは
反省しますし、繰り返さずに済むように考え直します。

 

罪悪感と反省することは別物です。


強い罪悪感があると自分を必死で守るために
逆に反省できなくなるんじゃないかな?とも思います。

 

罪悪感とは、


人類の長い歴史の中で意図的に作り出された感情じゃないでしょうか??

 

なぜなら
生まれた時からある感情ではないからです。
成長とともに自然に発生するものでもないですよね。

 

言っちゃえば


人間をコントロールする手段として作り出されたんじゃないでしょうか?


(あっ、もしかしたらヤバいこといってるかも。あくまで個人の意見です( ̄∇ ̄;))

 

罪悪感がなくても生きられますよね。

 

やんちゃを押さえつけるためだったりとか、
反省をうながすためだったりとか、
いろんな理由で罪悪感を押し付けようとしますが

罪悪感を与える行為が
善いことだと言い切れるでしょうか?

 

すくなくとも、私は
人をコントロールする手段にしか思えない、と気づくようになってから
格段に気持ちが楽になりました。
(と、同時に、自分も無意識に子供に植え付けてるかもと気づいて背筋凍りましたけどね(((( ;゚Д゚))))


(おまけ)
今、罪悪感を抱えながら生きてる人に。


罪悪感は、全部”感謝”に置き換えられます!


試してみてくださいね。

カテゴリ:ココロとアタマ | 10:16 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その4>子供に与えたいものは

実は、最近ずっと
”どう子育てしたらいいのか”よくわからなくなっていました。
(この子育てブログに偉そうに散々書いてるくせにね!ヽ(;▽;)ノ)

 

実際にはトマトくんもセロリちゃんもいい子だし、家族仲良く暮らしてるので
心配することもないのかもしれません。
それでも、子育てというのは子供が成人して社会に出るまで結果が分かりません。
その時は良かれと思っていても、育ってから
しまった!と思っても遅いのです。


今は社会の流れがものすごく早いから、昭和の子育ては一切通用しないでしょう。
もし昔の子育てが正しかったと言われるのであれば、
今、ウツになる人、自殺する人がこんなにいるのはおかしいです。
(厳しい言い方をすれば、流れに適応できない人間を量産してるとしか思えない。)

 

そんな時、
セロリちゃんの小学校の運動会を見ながらふと湧いてきたことです。

 

子育てに必要なのは”一体感”

 

だそうです。
以前、ブログで子育てに必要なのは「安心感」では?と書きましたが、

 

”安心”とは何か。マジメに考えてみた。(2016.06.14)

 

一体感ならこれも内包できますね。
大きく言っちゃえば「愛(愛情ではありません)」なのかもしれませんが、
”一体感”の方がわかりやすいですね。

 

お金もかからない。
時間もかからない。
誰でもできる(はず)。
シンプル〜!

 

子供と一緒に遊ぶ、などなどいろんなやり方があると思いますが
大事なのは、真の一体感。
これは

『我(特に親の方の)』が強すぎる限りは絶対に得られないものだと思います。

 

親の『我』が強ければどんなに子供がいうことを聞いてるように見えても、
親の『支配』に子供が『我慢』してるだけ(つまり、子供の方が器が広い)かもしれません。

(↑これが私が一番恐れてることなんです!自分の我が強いかどうかは自分ではなかなかわかりません。)

 

真の一体感、っていうのは
あったかい葛湯みたいなのが胸に流れる感覚、

じゃないかな。
(わかります?^^;;)


これは子供が『親との一体感を求める』時期にしか与えられないと思います。
それを過ぎたら終了です。
与えられずに成長したら、外に求めに行くだけ。
何歳までなのか、
それは子供によるでしょうね。

 

ゲームやらスマホやら、物質を与える前に
親は子供に”一体感”を与えるのが大事なのだと思います。

 

これはできてる人には当たり前のことでしょう。
できてない(与えられていない)人にはものすごく難しいことですが
そう目標を立てながら子育てしていけば
おのずとやることがわかっていけるかもしれませんね。

(次回は子供に与えたくないものを書きます。)


※ちなみに子供の『我』が強い場合。
これはもー、元気キッズには普通だと思いますが^^;
もしそれで「育てにくい」と感じるのであれば、
親としての采配が試されているとか、人間としての力量が試されている、とか、思うしかないです。
「育てにくい」と感じるのは、その子がというよりは
親である自分の捉え方です。

 

生まれつきいろんな障がいをもった子がいますので
一概には言えませんが・・。
トマトくんが幼い頃に共に通った施設で
いろんな障がいを持った子供たちを見ています。
中には”一体感”を持つようなことは難しそうな子もいました。
でも、お母さんは優しくて強くて、子供さんを愛していました。

 

どんな境遇であっても、たとえ離れていても
子供と一体感を持つことは可能だと思います。

 

カテゴリ:ココロとアタマ | 11:14 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その3>親としてすることは

1>無条件に光を受け取ってる
 

 

2>がんばって光を受け取ってる

 

 

3>光を受け取る資格はないと思っている

 

 

努力至上主義の人は「努力しないで得られるものなんてろくなもんじゃない!」と言われるかもしれませんが、
努力の種類によると思います。
わかりやすく図にするとこんな感じです。

  

 

限りなく3番に近い位置からの努力と、
限りなく1番に近い位置からの努力、
どちらが報われやすいか、一目瞭然ですよね。

 

「自分は努力しないと報われない」と言う刷り込みをうけると
自ら「努力しないと報われない人生」を選択していきます。
流れ(主に周りからの影響とか)に任せると自動的にそうなるようです。

 

「ちょっとがんばれば必ず報われる」
「ものすごくがんばらないと報われない」

努力の量ではなく、自分の位置で決まります。

 

3番にいる人が
何か望みを叶えようとした場合、
ものすごい勇気が必要でしょうね。
(3番に居続ける限りは無理だと思いますが)

 

ずっと私が疑問に思ってて、
やっぱりどう考えてもおかしい、と思うことがあります。

 

日本の子育てや社会って、

 

自分より後に生まれたなら自分より劣ってないとおかしい


学歴や出身校で人格を判断する

 

などなど、意味不明の刷り込みがまだまだ根強いです。


なので、
自分より下だと思っていた人間が自分を追い越しそうになると
ものすごい勢いで足をひっぱる。

これが無意識に行われています。

(前述のことを疑問に思っていないからだと思いますが・・。)

 

2番3番の人が1番の人を指導するなんて
ちゃんちゃらおかしい

と、思うのは私だけでしょうか(´;ω;`)

★動かなくても光は入ります

 

(もちろんしつけは大事ですが、
しつけと”我欲”を混合してるとえらいことになります。
その見極めが難しいですよねー。

子供のために良かれと思ってるからさらにややこしい-_-;)

 

もし、親である自分が子供より下だと気づけたなら、
プライドを捨てて少しでも上に行けるようにがんばって

子供の足を引っ張らないようにするしかないです。

 

それが子供のためになる最大のことだと思います。
子供たちを”自分と同じレベルに”落とすようなことは絶対にしてはいけません。
(特に3番の人は巻き込みタイプだと思います。)


苦労は買ってでもせよ?
あくまで例えですが、
あなたのお子さんが、
いじめにあって友達を作れないとか、
ブラック企業に勤めたりとか、
かなり苦労を強いられる人と結婚するとか、

そんな人生を歩んだらどう思いますか?

 

偉そうにすいません^^;
私もかつて3番に居たので、この辛さがどれほどのものか
わかっているつもりです。
誰もあそこまで落ちて欲しくないのです。

身を切る思いでこれを書いています。


(さらに続く)

カテゴリ:ココロとアタマ | 14:00 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その2>6歳までの育て方

豊川稲荷を参拝した後、
帰りの電車でスマホをチェックしたら
仕事の発注先から
「データを確認しましたところ、こちらで提案した方法とは別の方法でできそうです。いかがでしょうか。」
とメールが来ていました。
なんと、キレイに仕上がるだけではなく
値段が1万5千円くらい安くなるとのこと!
ご利益はや〜〜い!ヽ(≧∀≦)ノ

 

母子家庭にとって1万5千円は大金です。
実は私の稼ぎって、ほとんど外注費で消えてくので
手元にはあまり残らないのです。
(電○などの大手は知りませんが、零細デザイン業の現実はこんなもんです。
私がめっちゃ稼いでるように見えてる人もいるようですがとんでもない話^^;)

 

この話のポイントは、
誰も損をしていないことです。

しかも努力もしてないです。

 

 

話を戻しまして。

誰でも彼でも
光を受け取れるわけですが、

では、

努力しないと受け取れない人、
努力しなくても受け取れる人

がいるのはなぜでしょう?

 

過去記事で「幸せかどうかは【性格】に左右される」
と書きましたが、これを膨らませていきたいと思います。

 

以前、心身のことを勉強していた時期がありまして
その時に教えていただいたことですが(2012年頃)

 

子供は6歳くらいまで

親の言い方ややり方を
潜在意識に記憶させる。


これがその子の性格に影響を与える。


7歳以降に性格を変えるのはかなり難しく、
修正するのには”自分”と相当戦わなくてはならない。

 

だそうです。

7歳以降のお子さんをお持ちの方、
怖くないですか?????

 

ちなみに私は、セロリちゃんが4歳の時にこのことを知ったわけですが
それでも、です。
今更ながら、もっとあーすればよかったこーすればよかった
と思いますが、もう遅い。


私自身も自分を修正するのに必死だったため、
子供にまでちゃんと手をかけてあげることができてなかったです。

とはいえ、過ぎたことを後悔しても仕方ないので、
今、親子で一緒にいられる間は楽しく過ごしていきます。

 

6歳まで、
というのは日本では、小学校に入るまでですが
幼い子供を観察していると
特に何もなくても笑顔の子が多くないでしょうか?

 

幼い子供というのは、
光を受け取り放題なんじゃないかと思います。

特に多動児は、
ものすごい光量を受け取っているのかもしれません。
もしかしたら何も食べなくても生きられるのかもしれません。
(だから偏食の子が多い)

 

この性格を作る大事な時期に、
こんな親の姿を見ています。


1>無条件に光を受け取ってる

 

2>がんばって光を受け取ってる

 

3>光を受け取る資格はないと思っている


そして子供はこう刷り込まれます。


1>無条件に光を受け取っていい(本来、子供はここ)

 

2>がんばれば光を受け取っていい

 

3>自分には光を受け取る資格はない


全ての人に、同じ光量が降り注がれてるにも関わらず、
受け取り方で変わってしまうのです。
どう考えても楽なのは1番ですよね。

 

1番タイプにするには簡単。


6歳まで、1番タイプの人に育てられれば良い

 

ってことですよね。
シンプル!
でも、今いる日本人で1番タイプに育てられた人ってかなり少ないんじゃないでしょうか?

 

私も立派な2番タイプで(><;;)
(一時期3番まで落ち込んでましたがさすがにそれはもうありません)
成長したおかげでやっとやっと1番がちょこ〜〜っとわかってきた、くらいのレベルです。

 

トマトくんも2番タイプになってきてるので、やっぱり私の育て方、っていうか
私の姿が・・と、一時期悩んでもいましたが、
そういうのわかって本人の意志で生まれてきてるんだろうから、
しょうがないですよね。

 

これ以上落とさないために、
私にできることは、ただ一つです。
(次回に続く)

カテゴリ:ココロとアタマ | 12:57 | - | - | - |
世界はこんなにシンプルだったのか<その1>

先日、1年ぶりに豊川稲荷に一人で行き、

霊狐塚で千体の狐に囲まれながらベンチに座ってぼーっとしていました。

 

(↑これは昨年の10月に撮影しました)


サラリーマン風の男性たちや若いカップル、女子グループなど、
入れ替わり立ち代わり参拝していました。
すると「こんなにいると怖いよね」という声が聞こえてきました。

 

私はここが大好きで、心がクリアになる感じがするし、
狐たちも全部表情が違って愛嬌があって面白いと思うのですが
怖いと感じる人もいるんですね。
(もちろん私も畏敬は感じますので、
さすがに狐たちを撫で回したりなどはできませんが・・^^;)

 

知れば知るほど、
世の中が矛盾だらけなのがずっと謎でした。

正直いって、知らないほうが幸せなことって沢山あります。
でも知ってしまったらもう戻れません。

 

これは私が子育てを通じて感じたことですが、
世の中が「複雑すぎる」ことが全ての原因なんだろうな、と
考えていました。

なんでわざわざわかりにくくしているのだろう?
もっとシンプルにできる方法が必ずあるはずなのに・・
と。
(とはいえ複雑に捉えているのは他でもない「私自身」と言えるのかも知れませんが。)

 

そして、
シンプルな答えが湧いてきました。


太陽は全ての人に光を送っている。

 

受け取るか、受け取らないかだけ。

 

 

なるほど!
つまりこういうことですね、

 

善人・悪人の区別はない。
光を受け取るのは、
その人の「器」のみ。


そう考えると、
世間(道徳教育、宗教、日本昔ばなしも含めて)では
人格を磨き”善く生きる”ことが良いこととされてますが
そう生きたとしても
必ずしも幸せになれるわけではないと言う現実は
全く矛盾がありませんね。
法を犯すような悪人でも
器が大きければ裕福になれるわけです。
(注:”光”とは、”富”だけのことではありません。)


これは、国、能力、才能、などなど一切関係なく、
全てに当てはめられるシンプルな真理ではないですか?

(知ってる人は当たり前のように知ってることなんでしょうけどね^^;

ただ、これは諸刃の剣なので黙ってる人も多いのかも・・。)

 

そして、これが一番大事なのかなと思うのですが

 

 

誰かを傷つけてしまった、

迷惑をかけてしまった、
という罪悪感に苛まれていたとしても

 

光を受け取っていい

 

もちろん受け取らなくてもいい

 

あなたが受け取ろうが拒否しようが同じこと。

光はいつも見境なくたっぷり送られている。

 

 

この日は本当に雲ひとつない秋晴れで、
眩しく美しく暖かい光を浴びながら帰路に着きました。

 


★じゃあ、悪いことをしていても「器」を大きくすればいいんだよね、
品行方正に慎ましく生きてくのはバカみたいじゃん!
と思われるかも知れませんが、
まあ・・そうともいえるかもしれませんが^^;
やっぱり”人格を磨いた方が良い”理由があります。(これは次回に)

 

(補足)
本当は「善悪」を区別することは我々にはできないのです。
国や環境が違えば「善悪」基準は違うし、
各家庭で”我が家独自のルール”があったりします。
誰かの勝ちは誰かの負けだし、
良かれと思ってやったことでも
受け取る人にとっては大迷惑ということも普通にあります。
だから、人間社会には”法律”が存在するのでしょうね。

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